甲子園
夏の甲子園も佳境ですね。
雑誌 Number が、高校野球の特集を組んでたから図書館で読んじゃった。
買ったんじゃないのね・・・。
巨人軍のエースになった、桑田真澄投手のエピソードが興味深かったよ。
身体が小さくてボールのスピードもなかった桑田投手はPL学園入学後、投手失格の烙印を押されてしまったんだって。
でも桑田投手は、高校一年生で甲子園の優勝投手になってますよね・・・。
Number959 【夏の甲子園100回大会記念100人のマウンド。】 より抜粋させていただきます。
<ここから>
中学時代ナンバーワンのピッチャーとして入学しましたから、すぐに何度もチャンスをもらいました。でも試合では まったく歯が立ちません。
ゴールデンウィークに私学大会があって メンバー外の先輩や一年生にチャンスが与えられるんですけど、僕はその大会でメッタ打ちを喰らいました。スピードもキレもあったはずのストレートが高校では走らず、コントロールも悪くなっていました。
ピッチャーとして何度もチャンスをもらいましたが結果を残せず、6月に入ると、僕はピッチャー失格の烙印を押されて外野手に転向することになりました。
PL学園に臨時コーチとして招かれた清水一夫さんと出逢ったのは、そんなときでした。
あとから聞いた話だと、清水先生は僕の外野からの返球を見て、中村順司監督に 「あの子はピッチャーをやらせたらどうだ」 と進言してくれたそうです。「あの子はピッチャーのボールを投げている。オレがきちんと作り上げるから任せてくれ」
清水先生は 「おう坊主、投げてみぃ」 と言ってミットを構えます。こんなおっちゃんに捕れるのかなと思ったら、パーンとものすごくいい音を鳴らして捕球する。
それもそのはず、清水先生はキャッチャー出身だったんです。そして幸運なことに当時、常識だった投球理論にはこだわっていませんでした。
僕が初めて 「ブルペンに来い」 と言われて投げたとき、PLで教わった投げ方で投げたんです。そうしたら 「アホか、お前、さっきライトから投げた、あの投げ方で投げんかい」 と言われました。
そして、「もう1つだけ教えたる」 と言って、「左足を少し内側に入れながら上げて、そのまま右肩を落として体重移動してこい」 と・・・そうしたら一段と伸びのあるボールが行ったんです。
「よっしゃ、そのボールや」 と褒められました。
清水先生は練習にもいろんな工夫を取り入れていました。
なぜそんな練習をするのか、当時は説明もありませんでしたし、僕にだけ厳しく当たる感じもあったので、冗談じゃないと思ったこともありました。
たとえば清水先生は、構えたところに投げられなかったら捕ってくれません。アウトローからミットを動かしてくれないんです。何十回も外野まで転々と転がるボールを取りに走らされたこともありました。
清水先生は僕に野球の質問を浴びせ続けるんです。
「桑田、同点の9回、ノーアウト一塁や。初球に何を投げる?」
「初球はアウトローのまっすぐでしょう」
「アホか、最初は牽制を放って様子を見るやろ。で、相手のサインはなにがあるんや」
「・・・・」
「すぐに答えられなくてどないすんねん。バント、エンドラン、盗塁の3つやろ」
言われてみればそうだな、と思っていたら矢継ぎ早に質問を畳みかけてきます。
「試合が始まる。まず、どこを見る?」
「キャッチャーのサインですか」
「アホか、風はどっちに吹いてるか。まずはそこから見んかい。レフト方向に風が吹いていたらどうするんや」
「ライトに打たせるようにします」
「じゃあ、配球はどうなる?」
「それは・・・」
「インコースはボール球にして、外角でカウントを稼いで、最後も外で勝負するんや」
「なるほど」
「バッターがバットを寝かして構えてる。どこに投げる?」
「えっと・・・」
「バットを寝かせたら、高めにはバットを出しやすいやろ。そういうバッターに高めは要注意やぞ。高めはわざとボールにして、好きだからこそ手を出させる。高めを見せ球にして、低めで勝負すればいいんや」
清水先生との会話を通じて、僕はピッチャーというのは ただ投げるだけじゃなく、状況を読み、相手を観察して弱点をつくことが大事なんだということを知りました。
<ここまで>
演技にも参考になることがたくさんありましたね。
いいものをどんどん吸収して、声優として大きく成長していってください。
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