ブレヒトが好き
なぜっていいことが好きだから
ブレヒト演劇の登場人物は「みんなの役に立ちたい」と いいことをします。
ところがいいことをすればするほど不幸になってしまうのがブレヒト演劇の特徴です。
「セチュアンの善人」シェン・テは神様に見捨てられ、「屠殺場の聖ヨハンナ」は死んでしまい、「肝っ玉おっ母」の娘カトリンに至っては撃ち殺されてしまいます。
いいことをして幸せになるのは「コーカサスの白墨の輪」のグルシェくらい…。
みんなの幸せを願うと不幸になり、悪いことをすると幸せになる。
どうしてそうなるの?いいことをしちゃダメなの?悪いことをした方がいいの?
「いいことをした人が幸せになる」そんなあたりまえの世の中になるには、どうしたらいいのか、みんなで考えよう。
それがブレヒト演劇です。だから大好きです。
ブレヒト戯曲選集 第5巻 解説より
自由意思に基づいて自発的に善を行おうとする人々、ヨハンナ、カトリン、シェン・テ、グルシェなどがそれである。彼女らは、自発的な行動をはじめると、たちまち社会のしがらみにがんじがらめにされてしまう。善を行うことと生きていくことが、正面衝突をするような境遇に追い込まれていく。
作者としてのブレヒトは、同情の涙を全く惜しんでいるわけではない。
むしろ、社会の組織や制度の悪弊(あくへい)をえぐり出す巨視的(きょしてき)な立場から、人間そのものの中に巣食いがちな悪――怠惰(たいだ)・猜忌(さいき)・不正など――と取り組む立場に移って、善人たちを培養基(ばいようき)とし、悪の生態を微視的(びしてき)に観察しているのである。
そして、この善人と悪との対決の場合、人間の心に巣食い勝ちの悪そのものよりも、悪に対処する善人の心のもち方のほうに、より多くの描写の筆がついやされている。
この解説をわかりやすく表現してみたのが、最初の私のセリフです。以上、文章の読み解きかたでした。
Voice actor laboratory 声優演技研究所