台本の読み解きは、どうやるの?
本音を見抜け!
ナチスドイツ・ヒトラーの魔の手から逃れた劇作家ブレヒトが最終的な亡命先に選んだのは、ブレヒトの大きらいなアメリカでした。
ブレヒトは、ヒトラーが政権を獲得し、突撃隊が公然と暴力を使いだした「国会放火事件」の翌日、1933年2月28日から亡命生活に旅立ち、転々と国を変えながら、15年を国外で送ります。
「ブレヒトの世界」(御茶の水書房)によると、『ブレヒト夫妻が1936年の初めに、ソヴィエト連邦に亡命していたドイツのひとびとと接触するため、しばらくモスクワを訪問した』とあります。*1
この当時、ソ連はドイツと不可侵条約を結んでいました。
しかしそれでもブレヒトは、最終的な亡命先にアメリカを選んだのです。*2
ブレヒトの関連書籍
これらの本を総合的に読み解き判断しますと、ブレヒトは【本音とタテマエ】を見抜く能力が、とても優(すぐ)れていたことがうかがえます。
美辞麗句のきれいごとの言葉のウラにかくされた、本質を見抜く能力です。
ソ連はマルクス主義を隠れみのにした、ある意味ナチスと同じような独裁主義国家だ。*3 アメリカは資本主義で「カネ・カネ・カネ」という考え方は好きにはなれないが、なにより自由がある…。
それがブレヒトがアメリカを亡命先に選んだ理由だったんです。 *4
ドイツがソ連との不可侵条約を破棄し、ソ連に奇襲攻撃を開始したのは1941年6月22日のことであり、ブレヒトがモスクワ・ウラジヴォストックを経由しアメリカ行きの汽船アニー・ジョンソン号に乗船して9日後のことでした。*5
もちろんブレヒトも神様ではありませんからダマされたこともあったようです。しかし類稀なる洞察力でピンチを切り抜けて来たんですね。
ブレヒトが本物を見分ける能力に優れていたのは、ブレヒトの作品群をみれば一目瞭然だな。*6
台本を読み解くには行動を観察しよう
台本に書かれた登場人物は、いろんな言葉(セリフ)をしゃべります。その言葉は本当のことだったり、あるいは完全なウソだったりと、さまざまです。
その言葉がウソか本当か見抜くには、登場人物の行動に注目し観察しましょう。どんなきれいごとを言っていても、その人物の本音は必ず行動にあらわれるんです。
以上、演劇台本の登場人物の気持ちを深読みする方法でした。
*1:
ブレヒトが亡命・滞在した国や地域は「デンマーク・フューン島スヴェンボリ」「スウェーデン・ストックホルム沖の小島リンディゲー」「フィンランド・ヘルシンキ」などです。
亡命生活の最初の何年かの間、ブレヒトはドイツ移民共同体があったロンドン、ニューヨーク、パリ、モスクワを何度も“商用”で訪れています。
参考文献
*2:
ブレヒトは1941年7月21日、アメリカ・ロサンジェルスに到着。ハリウッドの一地区サンタ・モニカに家を借ります。
ただブレヒトは、アメリカになかなかなじめず、新居も気に入らなかったそうです。
参考文献
*3:
ブレヒトの作品以外に参考となった書籍。
「一九八四年」と「動物農場」どちらもジョージ・オーウェルの作品です。
*4:
アメリカを軽蔑したけれど、十数年にわたるナチスからの亡命期間中、ソ連には住もうとせず、アメリカ合衆国で暮らすことを選んだ。
ブレヒトにとって重要だったのは、おもしろい芝居 であって、演劇の革命だった。厚化粧の感動や陶酔にゆさぶりをかけ、考えることをエンターテインメントにした。
参考文献
*5:
第二次大戦中の1941年6月、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に攻め込むと、米英など連合国はソ連に武器や物資を送り、支援した。
太平洋ルートやイランルートがあったが、最も距離が短いのは北極海ルートだった▲
英国やアイスランドを起点にノルウェー沖の北極海を通ってソ連に向かうと、太平洋横断の約半分の日数で到着できたという。
ドイツが占領していたノルウェーを拠点に輸送船団を攻撃したため、連合国側も大きな損害を被ったが、輸送はドイツ降伏まで続いた
毎日新聞コラム「余録」より
*6:
セチュアンの善人
1941年に完成したこの寓話劇で、ブレヒトは問題を提示する。すなわち、人は劣悪な状況に生きながら、なおどれほど善良でいられるか?
で、人間は善か、悪か?
「状況に邪魔されるなら善人ではいられない。
まず状況を改善しなくては。
実行できない道徳なんかくそくらえ。」
ブレヒトはなぜ寓話劇を頻繁に書くのですか?
「ブレヒトは寓話劇によって戦争、宗教、インフレ、人種差別など社会の複雑な現象を分かりやすく説明できる……。自然主義的な描写では彼の意を尽くせない:ブレヒトの意図は根底にあるメカニズムを明らかにすることだ。」
参考文献