ヒトラーに抗した白いバラ
「アンネの日記」と同じ時代…
ナチス・ドイツのヒトラーに抵抗したドイツ人の女学生がいました。
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戦(いくさ)の際、自分が正しいと思う方に味方することができたら、どんなにいいでしょう。
ドイツ人が、ただ自分の国だからということだけでかたくなに自分の国を守るのも、まちがっていると思います。感情はしばしば判断を誤るものです。
これは本当にあったお話です。
ゾフィーは、兵隊として召集されたボーイフレンドに、かなり厳しい内容の手紙を送っています。
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「人間の生命が、他の人間の手によってこれから絶えず危険に陥れられるなど、私にはとても理解できません。本当にわかりません。恐ろしいことだと思います。どうか祖国のためだなどとは言わないでください。」
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「正義に身を捧げる人間などほとんど見られないのに、正義が勝つことなど期待できるでしょうか?」
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「国民に対する軍人の立場は、父親と家族に忠誠を誓う息子のようなものだと私は思います。父親が他の家族に対し不正を働き、いざこざを引き起こしても、息子は父親に従わなければならないのです。私は身内に対し、このようにまちがった理解を示すことはしません。私は正義は常に何ものにも優先されるべきもの、時にセンチメンタルな帰属性をも超えるべきものだと思います。」
ゾフィーの物語は「白バラの祈り/ゾフィー・ショル、最期の日々」というタイトルで映画化もされています。
図書館の視聴覚室で見ることができますよ。
またゾフィーはヒトラーだけでなく、ユダヤ人迫害にも反対しているんですね。
悪と戦ったという意味でも同じですね。
Voice actor laboratory 声優演技研究所
P.S.
この本の151ページ目に興味深い記述があります。
「ヒトラーとナチ・ドイツ」講談社現代新書によると、ナチスの啓蒙宣伝省は活発なプロパガンダを展開した、とあります。*1
そうなると、このラジオ放送はドイツのものではなく、イギリスやスイスの放送を受信した可能性がありますね。*2
ブレヒト戯曲「第三帝国の恐怖と悲惨」によると、当時のラジオは真空管の数の多いほど性能がよく、四球のものは「スーパー」と呼ばれ外国の電波もよくキャッチできた。大衆むけの「フォルクスエンプフェンガー」というラジオは一球で国内放送しか入らなかったそうです。
参考文献
ブレヒト戯曲全集 未来社
また、「ゾフィー21歳 ヒトラーに抗した白いバラ」に登場する【ナチスに協力したドイツ人たち】は、良心の呵責(かしゃく)などはまったく感じておらず、自分の義務を果たしただけ、と思っていたようです。
つまり、悪いことをしたとは思っていないんです。
いったいゾフィーがどんな犯罪をおかしたというのでしょう?彼女はただ戦争に反対しただけなのに…。
いろんなものが見えてくる本です。おススメします。
~君たちは若い。君たちの課題は年をとることだ。死刑の宣告をうけたらどうしますか?国家権力による死の宣告も医師による死の宣告も同じですか?どうやって年をとりますか?~
*1:啓蒙宣伝省の目的は、ヒトラーを新時代にふさわしい国民的指導者に祭り上げ、そのもとで進む国家と社会のナチ化が成果をあげるよう、大衆の精神面に働きかけることだ。
ゲッベルスはこれを「精神的総動員」と呼び、ラジオ・新聞・出版・映画から文学・音楽・美術・舞台芸術にいたるまで、すべてのメディア・文化活動を監視統制しながら、活発なプロパガンダを展開した。
プロパガンダは単なる宣伝でも広報活動でもない。
それは政治指導者・為政者が特定の情報を大衆に伝え、大衆の行動をある方向へと誘導することだ。
自らに不利な情報はいっさい伝えず、有利な情報だけを誇張、潤色、捏造もお構いなしに発信し続け、大衆の共感を得る。
敵を仕立て上げることも情報操作ひとつでたやすいことだ。
真偽を問わずネガティヴな情報だけを流し、マイナス・イメージを刷り込み、大衆の怒りを煽るという、ナチ党が弱小政党から巨大な大衆政党へ台頭するなかで鍛えあげた政治宣伝の手法が、いまや国の政策として実践されることになったのだ。
「ヒトラーとナチ・ドイツ」講談社現代新書より 頁193-195
*2:1940年7月1日
世界は刻々変化している。どんどん物がなくなっていくように思えるがラジオは常にあった。
そんなある日、ウィーンからの放送が途絶えた。
次いで、プラハ放送。それでしばらくワルシャワ放送を聞いた。やがてワルシャワ放送も途絶える。
コペンハーゲンとオスロからドイツ語だけの放送を開始。今や、パリからの放送もない。
西側民主主義諸国の中ではかろうじてロンドン放送が続いている。
あとどの位続くのだろうか?