ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

メルヒェンの残酷性をめぐって

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たぬきは、きねを うけとると、

どっすん! どっすん!

ちからまかせに つきました。

ちらばった こめを ひろおうと、おばあさんが かがんだところで、

ごずんっ!

あたまを ひとうち。

おばあさんは、ころっと しんでしまいました。

たぬきは、おばあさんに ばけました。

「ばあさんや、いま かえったよ。たぬきじるは できたかい」

「はいはい、たんと おあがり」

「おや、このたぬき ずいぶん かたいな」

「ああ、ふるだぬきは かたいもんだよ」

「ちょっと かわった においが するな」

「ああ、ふるだぬきは におうもんだよ」

「かみしめると、うまいな」

「ああ、ふるだぬきは うまいもんだよ」

そうして、おじいさんが ずずっと しるまで のみほすと、

おばあさんは、みるみる たぬきの かおになり、

「ばばじる くった。うまかった。

ながしの したの ほねを みろ」

しっぽを ふりふり、山へ にげてゆきました。

参考文献
かちかち山 岩崎書店

 

メルヒェンの残酷性をめぐって

その
メルヒェンの残酷性という問題について、教育者たちは、とくに、二つの世界大戦のあとで、詳しい研究をしました。

 

戦争で行われた、たくさんの残酷なことがらが、あるいは、何らかの形で、残酷な子どものメルヒェンに、原因があるのではないかと自問したのでした。

 

その結果、教育家、心理学者、医者たちの大部分は、古い昔話を、健康な子どもに語ったところで、害になるということはない、いや、それどころか、子どもの精神的、内面的な発展に、大きな意味があるのだ、という結論に達しました。

 

神経質に、心を配って、恐ろしいことや悪いことを、子どもから遠ざけておこうとする教育のやり方は、恐ろしいことや悪いことから目をそむけているだけで、それを克服するということではありません。

 

その結果、子どもの自然な内的な成長は、妨(さまた)げられてしまいます。

 

こうしたやり方は、子どもたちに、世界や人生について大きな幻想を抱かせ、健康な抵抗力を発展させる機会を奪います。

 

そうなると子どもは、道徳的観念の弱い人間に成長していきます――。

 

ですから、恐ろしいことも悪いことも、最初から、子どもの生活の中に入れて教育しなければならないのです。その役目を、メルヒェンは、子どもに合った仕方で、担(にな)っているのです。

 

だからといって、メルヒェンは、現実的な事件を物語るのではなく、ことがらを象徴的な絵にして叙述しているのです。たとえば、ヨーロッパのメルヒェンが好んで用いるモチーフである竜(悪の象徴)との戦いという絵にして。

 

その
残酷性は、疑いもなく存在します。しかし、それは、メルヒェンという形に、様式化されており、現実に起こっている出来事と同じように、残忍に働きかけるということはありません。

 

人間は、いろいろよいことをしようと努力をしますが、それと並んで、恐ろしいことへの喜び、すなわち、残酷性の傾向は、だれの心にも――子どもにも、大人にも――あります。

 

人間は、これを、どこかで満足させたいと思うのです!

 

これは、とても重大なことです。人は、こうした人間の性向を、満足させてくれる可能性が、メルヒェンの中に提供されているのをみて、落ち着くことができるのです。

 

しかし、メルヒェンの残酷な行為は、粗野な直接的な仕方で行われるのではなく、もう一つ高い次元で、すなわち、芸術的文学形式の中で、行われるのです。

 

たとえ、子どもが、メルヒェンの人物と、相当近いところまで、一体化してしまったとしても、子どもたちが体験するのは、抽象化された形であって、決して、個人的な現実体験ではありません。

 

しかも、子どもは、残酷性を、メルヒェン全体の関係の中で、とらえます。すなわち、人生に於(お)ける主力としてではなく、陰に隠れた暗い部分として。

 

人生に、この暗い部分があるからこそ、善と慈悲が、ますます明るく輝きわたってくるのです。

 

そして、人間が、残酷さと戦い、たえずこれに打ち勝たなければならないということが明らかになります。

 

そこで、子どもは、悪を克服することが人生の課題であり、この課題にまじめに全力を尽(つ)くして取り組むべきなのだ、ということを学ぶのです。

参考文献
“グリムおばさん”とよばれて こぐま社

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たぬきは ばあさまから きねを とりあげ、そのきねで ばあさまを たたきころした。

そして、なべに いれて いろりで ぐつぐつ にて、がつがつ たべてしまった。

くらくなって じいさまが はたけから かえってくると、ばあさまに ばけた たぬきが なにくわぬ かおで 

「じいさん じいさん、なべのなかで たぬきじるが にえてるだよ」と いった。

じいさまが なべのふたを とると、なかには しろいほねが かんころんと あるだけだった。

「ばあさま、こりゃ なんじゃい」と たんねるとf:id:seiyukenkyujo:20190817145405g:plain原文ママ*1、ばあさまに ばけた たぬきは

「ばあさんは、わしのおくばに ひっかかって ないてるだぁ」と いって にげていった。

参考文献
かちかちやま miki HOUSE

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いろいろ意見はあるだろうが、こんなたぬきなら どろぶねでブクブクされても仕方ないな。

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かちかちやま大好きです。f:id:seiyukenkyujo:20190817025006g:plain

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*1:たんねる「たずねる」の方言。
【熊本弁、福島弁、関西弁、阿波弁、京都弁】で使われている。
日本辞典 方言辞典より