戯曲アルジャーノンに花束を
「感情とは何か」を問うことの意義
わたしは、「感情とは何か」という問に対する決定的な答えを与える、などと偉そうなことを言うつもりはありません。
そもそも、他の学問とは異なり、哲学の実績は、答えることにあるのではなく、問うことにあります。
哲学に関するかぎり、決定的な答というのは、ありうべからざるものであるに違いありません。
ソクラテスは、「真理とはこういうことだ」とはいわずに、いろんな人と対話することを通して、「真理」について考えることを経験させようとしたのです。
哲学はもともと、すべてを疑うものです。
そうやって、人間は何千年も「答えより問いを探して」きたんです。
答えより問いを探して 講談社
「戯曲 アルジャーノンに花束を」は、原作とはひと味違った視点で物語を見つめます。それは
なぜアルジャーノンは迷路を走り続けるのか
チャーリイ
紹介しよう、アルジャーノンだ。
フェイ
ネズミね。
チャーリイ
この迷路は、彼の学習の場でもあり、運動の場でもあるんだ。これも今の彼には簡単すぎるんで、もっと複雑な、立体の迷路を作ろうと思ってる。少しずつ回廊を増やして大きくしていくんだ。
フェイ
へえ・・・直線と箱の組み合わせが増殖してこの部屋を埋めつくす、そしてその回廊を、ネズ公が出口をめざして走りまわる。
すばらしいわ!
どこまでも続く回廊、壁、分岐点、そして出口。だが、その出口は次の入り口にしかすぎない・・・タイトルは・・・「人生は迷路の箱にすぎず」どう?
どんなに頭が良くなろうと、そこに完璧な答えはなく、新たな問いの入り口がある。
だからこそ、人間は問い続ける。
そうやって考えていくとメッチャ面白いです。答えがないからこそ、シェイクスピアの作品も時代によっていろいろ解釈が変わるんでしょうね。
「アルジャーノンに花束を」は、アニメ・その他の作品に引用されまくっている、あまりにも有名な作品です。
原作は、優秀なSF作品に与えられる「ヒューゴー賞」や「ネビュラ賞」を受賞した傑作です。
映画化やテレビドラマ化はいうにおよばず、たくさんの劇団が舞台化し、有名・実力派声優も演じた作品が「アルジャーノンに花束を」なんですね。
それでは、また。
参考文献
答えより問いを探して 講談社