ディストピアが現実となる日
我々は社会を改善できると考えたのです。
改善?と小さな声でわたしは言う。これが改善だなどとよくもまあ言えるものだ。
改善と言っても、必ずしも誰もがいい目を見るわけではないのです。損をする人も決まっているものなのです。
ディストピアとは、ユートピア(理想郷)とは正反対の【悪夢のような世界】のことです。
「侍女の物語」は架空のSF小説ですが、近ごろのニュースで見るような、現実の紛争やら内戦やらと見紛(まご)うシーンが出てきます。
平和な世の中が好きだから、いろいろ考え続けたいです。
侍女の物語
それは、大統領が暗殺されて国会が機銃掃射され、軍隊が非常事態宣言をするという異変の後に起こった。
落ち着いてください、と彼らはテレビで言った。事件は完全に鎮圧されました、と。
わたしは驚きのあまり呆然とした。誰もが呆然としたと思う。それは信じがたい出来事だった。政府全体がそんなふうに消滅してしまうなんて。
彼らはそれから憲法の施行を停止した。
あくまで一時的な措置にすぎない、と彼らは言った。
覚悟しなさい、とモイラは電話でわたしに言った。ついにやってきたのよ。
やってきたって、何が?とわたしは言った。
すぐにわかるわ、と彼女は言った。彼らはこういう状況を少しずつ準備してきたのよ。あんたもあたしも危険な立場にいるのよ。
数週間、仮死状態のような状況がつづいた。
ただし、いくつかの変化が起こった。
まず新聞が検閲を受けて何紙かが発禁処分になった。安全確保のため、というのが彼らの言い分だった。道路封鎖が始まり、身許証明書が使用されるようになった。
彼らは新しい選挙を行うと言った。ただその準備にしばらく時間がかかるということだった。
肝心なのは、と彼らは言った。今まで通りに生活をつづけることです。
あなた方は日常に慣れなければなりません、とリディア小母は言った。
今はまだこの状態が日常には思えないかもしれません。でも、しばらくすればきっとそう思えるようになるはずです。
これが日常になるのです。
おまけ
「侍女の物語」とは
オブウォーレンは何を出産しようとしているのだろう?わたしたちみんなが望んでいる赤ちゃんだろうか?それとも、他のもの、不完全児だろうか?
針の先のように小さい頭をしていたり、犬のように大きな鼻をしたり、胴体が二つあったり、心臓に穴が開いていたり、両腕がなかったり、手や足に水かきのあったりする赤ん坊だろうか?
いったん大気に化学薬品や放射線や放射能が充満し、海や川が汚染物質で汚れると、それをきれいに取り除くには何十年もかかる。
そのあいだに、それらの物質は人の体内に忍び込み、脂肪細胞の中に居座るのだ。
だから、わたしたちの肉体は、油だらけの海岸のようにひどく汚染されているかもしれないのだ。海岸に住む鳥や胎児に確実に死をもたらすほどに。
コンドルでさえ人間の体を食べたら死んでしまうかもしれない。
わたしは自分の体を考えようとすると、どうしても骸骨を、つまり電子に写る自分を連想せずにいられないときがある。骨でできた生命の揺りかごを。
きっとその中には、危険、歪んだ蛋白質、ガラスのように尖った悪い結晶がウヨウヨしているだろう。
女たちは薬や錠剤を飲み、男たちは木々に殺虫剤を散布し、牛は草を食べた。それらすべての密度の濃い小便が川に流れ込んだ。
それは地震の最中に起こったものだから、誰の責任でもないけれど。
それから、どんな抗生物質でも治せない突然変異の性病があった。
わたしたちは不合格にされた赤ん坊、不完全児と宣告された赤ん坊がどうなるかを正確には知らなかった。
でも、その子たちがすぐにどこかへ捨てられてしまうことはわかっていたのだ。
歴史的背景に関する注釈
このシンポジウムは、2195年6月25日にヌナビット国のディネイ大学で開催された世界歴史学会総会の分派会として開かれた。
今は当時の記録はまばらにしか残っていません。ギレアデ政権はさまざまな粛清(パージ)と内乱を体験した後、自分たちのコンピューターの内容を消去し、プリントアウトを廃棄するようになったからです。
しかし、プリントアウトの一部は残っていました。
実を申せば、その一部はさまざまな女性擁護団体の宣伝活動に使われるためにイギリスに密かに運び出されたのです。その当時、イギリス諸島にはそのような団体がたくさんあったのです。
政府の高官たちは、一人かそれ以上の健全な子供を産んだ経験のある、多産な適性を持つ女性を自由に選ぶことができたわけです。それは白人種の出生率が急落していた時代には望ましい適正でした。
この出生率の急落という現象は、ギレアデだけでなく、当時の北の白人社会の大部分でも見られた現象でした。
言うまでもなく、これはRストレイン梅毒や、エイズ伝染病の時代でありました。また死産、流産、遺伝病の奇形児が広まり、増加しました。
この流行の原因としては、さまざまな原子力発電所の事故、閉鎖、この時代によくあった破壊事件、また化学及び細菌戦争の備蓄と汚染物質の処理場からの漏れが挙げられてきました。
そのような汚染処理場は合法のものも非合法のものも含めて何千とあり、その中には汚染物質を下水道に直接捨てていたところもあったわけです。
それに化学殺虫剤、除草剤、それに他のスプレーの野放図な使用も原因とされてきました。
訳者あとがきより
この作品の舞台となる近未来のアメリカでは、女性から完全に自由が奪われ、彼女たちは奴隷のような生活を送っている。
エイズや環境汚染に起因すると思われる出生率の著しい低下のために、女性は子供を産むための道具としか見なされていない。
そして主人公のオブフレッドは、妊娠可能な子宮を持った「侍女」として司令官の家に派遣されることになる。
それは女性にとっての暗黒社会であり、いわば「オーウェルの『1984年』の姉妹編」(E.L.ドクトロウ)だったのである。
我々の大きな失策は女たちに読むことを教えたことだ。もう二度とその失敗を犯すつもりはない