三島由紀夫と川端康成
金閣寺 三島由紀夫
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
私の生れたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。
五月の夕方など、学校からかえって、叔父の家の二階の勉強部屋から、むこうの小山を見る。若葉の山腹が西日を受けて、野の只中(ただなか)に、金屏風(きんびょうぶ)を建てたように見える。それを見ると私は、金閣を想像した。
福井県とこちら京都府の国境(くにざかい)をなす吉坂峠(きちざかとうげ)は、丁度真東に当っている。その峠のあたりから日が昇る。
現実の京都とは反対の方角であるのに、私は山あいの朝陽の中から、金閣が朝空へ聳(そび)えているのを見た。
体も弱く、駈足(かけあし)をしても鉄棒をやっても人に負ける上に、生来の吃りが、ますます私を引込思案にした。
そしてみんなが、私をお寺の子だと知っていた。
悪童たちは、吃りの坊主が吃りながらお経を読む真似(まね)をしてからかった。
講談の中に、吃りの岡っ引の出てくるのがあって、そういうところをわざと声に出して、私に読んできかせたりした。
吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障碍(しょうがい)を置いた。
こういう少年は、たやすく想像されるように、二種類の相反した権力意思を抱くようになる。
私は歴史における暴君の記述が好きであった。
吃りで、無口な暴君で私があれば、家来どもは私の顔色をうかがってひねもすおびえて暮らすことになるであろう。
私は明確な、辷(すべ)りのよい言葉で、私の残虐を正当化する必要なんかないのだ。私の無言だけが、あらゆる残虐を正当化するのだ。
こうして日頃私をさげすむ教師や学友を、片っぱしから処刑する空想をたのしむ一方、私はまた内面の世界の王者、静かな諦観(ていかん)にみちた大芸術家になる空想をもたのしんだ。
外見こそ貧しかったが、私の内面は誰よりも、こうして富んだ。
何か拭(ぬぐ)いがたい負(ひ)け目を持った少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、と考えるのは、当然ではあるまいか。
この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がしていた。
——こんな一挿話が思い出される。
東舞鶴中学校は、ひろいグラウンドを控え、のびやかな山々にかこまれた、新式の明るい校舎であった。
五月のある日、中学の先輩の、舞鶴海軍機関学校の一生徒が、休暇をもらって、母校へあそびに来た。
彼はよく日に灼(や)け、頭から爪先まで、若い英雄そのものであった。
一挙手一投足が誇りにみちあふれ、そんな若さで、自分の謙譲さの重みをちゃんと知っていた。
彼はグラウンドへ下りる二三段の大谷石の石段に腰を下ろしていた。
そのまわりには、話に聴(き)き惚(ほ)れている四五人の後輩がおり、私はといえば、二米(メートル)ほどの距離を置いて、グラウンドのベンチに一人で腰掛けていた。
さて、若い英雄は、その崇拝者たちよりも、よけい私のほうを気にしていた。私だけが威風になびかぬように見え、彼は私の名をみんなにきいた。それから、
「おい、溝口」
と、初対面の私に呼びかけた。私はだまったまま、まじまじと彼を見つめた。
「何とか返事せんのか。啞か、貴様は」
「ど、ど、ど、吃りなんです」
と崇拝者の一人が私の代りに答え、みんなが身を撚って笑った。
「何だ、吃りか。貴様も海機へ入らんか。吃りなんか、一日で叩(たた)き直してやるぞ」
「入りません。僕は坊主になるんです」
皆はしんとした。
若い英雄はうつむいて、そこらの草の茎を摘んで、口にくわえた。
「ふうん、そんならあと何年かで、俺も貴様の厄介になるわけだな」
その年はすでに太平洋戦争がはじまっていた。
・・・このとき私に、たしかに一つの自覚が生じたのである。
暗い世界に大手をひろげて待っていること。やがては、五月の花も、制服も、意地悪な級友たちも、私のひろげている手の中へ入ってくること。
自分が世界を底辺で引きしぼって、つかまえているという自覚を持つこと。
・・・しかしこういう自覚は、少年の誇りとなるには重すぎた。
誇りはもっと軽く、明るく、燦然(さんぜん)としていなければならなかった。
例えば、彼の腰に吊(つ)っている短剣は正にそういうものだ。
中学生みんなが憧れている短剣は、実に美しい装飾だった。
たまたま、機関学校の制服は、脱ぎすてられて、白いペンキ塗りの柵(さく)にかけられていた。ズボンも、白い下着のシャツも。
彼は後輩たちに挑まれて、裏の土俵へ、角力(すもう)をしに行ったのである。
私はあたりに人気(ひとけ)のないのをたしかめた。
私はポケットから、錆びついた鉛筆削りのナイフをとり出し、忍び寄って、その美しい短剣の黒い鞘(さや)の裏側に、二三条のみにくい切り傷を彫り込んだ。
三島由紀夫について
これまで、山口百恵・主演映画の原作「潮騒」しか、三島由紀夫の小説は読んでいませんでした。
わたしの大好きな川端康成と三島由紀夫は、師弟関係のような間柄だと知り、興味を持った次第です。
因(ちな)みに
現在は夫婦である、山口百恵と三浦友和の、共演映画・第二弾が、三島由紀夫の「潮騒」(1975年)です。
そして山口百恵と三浦友和が初めて出会った映画【三浦友和の俳優デビュー作】が、川端康成の「伊豆の踊子」(1974年)でした。
偶然なのかな、それとも映画製作者側が狙って、この順番にしたのかな
川端康成は、その著書「天授の子」で
広島で私は強いショックを受けた。
人類の惨禍が私を鼓舞したのだ。二十万人の死が私の生の思いを新にしたのだ。
私は広島で平和のために生きようと新に思ったのであった。
と述べている〝平和主義者〟です。
三島由紀夫は〝割腹自殺〟をしたことで有名ですね。
川端康成と三島由紀夫の「思想・信条」については置いときます。
あくまでも今回読んだ「金閣寺」の感想のみを書かせていただきますが、主人公の溝口くんの性格は、とても興味深かったです。
溝口くんは、けっこうゆがんだ性格をしています。だけど、まわりからバカにされ続けたら、「ふざけるな、俺はお前らなんかとは違うんだ、今に見てろ!」という気持ちになるのは頷(うなず)けます。
理想と現実のはざまで揺れ動くのが人間
自分はひそかに選ばれた者だ、
この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がしていた。
溝口くんは、そんなことを考えながら、先輩の短剣の鞘をナイフで傷つけるという暗い行動をしてしまいます。溝口くん、かなり捻(ね)じくれています。
だけど責められるでしょうか。
わたしたち読者は主人公に、どのような境遇でも「困難な状況に負けず、いい方向に進んでほしい」と願ってしまうところがあります。
主人公が逆境に負けず、前を向く小説のほうが、読んでいて感動するし、勇気も貰えるからです。
小説【フィクション】ではなく〝現実〟に置きかえてみる
だけどこれを小説ではなく、現実問題として考えてみると、そう簡単ではないと思うんです。
もちろん困難な状況を乗り越えて、世の中のためになる立派な行いをしている人もいるでしょう。
であっても、すべての人に簡単にできることでは決してないと思うのです。
「輝ける平和な未来の実現を目指して、自分は頑張る。今は自分をイジメている人間も、みんな幸せになってほしい。そうすれば・・・」みたいに考えられる人間なんて、そうそういないと思います。
だからこそ、まわりからイジメを受けている溝口くんが、そのような行動をとってしまうのは理解できます。同情の気持ちも湧いてきますし、溝口くんの心情を考えると、抱きしめてあげたい気持ちにもなってきます。
そんな溝口くんが目に見えておかしくなりだしたのは…
大学に進学し、柏木と知り合い、心やさしい親友である、鶴川くんと疎遠になったあたりからです。
たしかに柏木の〝悪の理論〟は魅力的でおもしろいです。溝口くんが惹(ひ)かれてしまったのも分かりますが・・・
「金閣寺」は、実際にあった「金閣寺放火事件」を題材にした小説です。悪友・柏木と知り合わず、疎遠になった鶴川くんが死ななければ、別の人生が待っていた可能性も・・・なんて考えてしまいます。
抗(あらが)いきれぬ悪の魅力と、善良な親友の突然の死・・・。