人を食った話・ミノタウロスの皿
アステカ帝国の饗宴メニュー
16世紀
アステカ族は、特定の饗宴にいつも必ず同じ料理を供するのを好んだ。
春の神シペ・トテックの祝祭ではトウモロコシが大量に供された。これは文明社会の常食である。
いっぽう、春分のころに行われるシペ・トテックの大規模な祝祭は「トラカシペワリストリ」と呼ばれ、このときの主な食材は、人間だった。
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研究者たちの間では、アステカ族の食生活における人肉食の普及度について、それが日常習慣であったにせよ、儀式に限った行為であったとしても、是非をめぐって意見が対立している。
程度の差こそあれアステカ族が、人肉食を罪悪視していなかったのは確かだ。
スペインのフランシスコ会修道士、ベルナルディーノ・デ・サアグン(1499-1590年)は恐らく世界で初の考古学者だろう。
彼はアステカ文化の研究に生涯を捧げた驚異的な人物である。
彼の記録によれば、トラカシペワリストリ (人間の皮をはぐという意味) では基本的に、老若男女を問わず、戦で捕まって捕虜となった囚人が殺されたという。
まずアステカの戦士と囚人が決闘をする。といっても囚人は殺される運命にあるという一方的で不快な闘いである。
サアグンは、殺された囚人の体の一部が、トゥラカトゥラオリと呼ばれるシチュー料理にトウモロコシと共に加えられ、塩で味付けされたと記録している。チリペッパーも使われたことだろう。
これを食べることが許されたのは、捕虜を捕まえてきたアステカ人とその家族だけだった。
上の絵は、この饗宴を描いた可能性が最も高いと思われる場面であり、「マリアベッキアーノ絵文書」という暦書に描かれている。
そこには宗教上の重要な日程と祝祭が記されていると共に、数多くの殺りく行為も記されている。
引用
料理メニューからひもとく歴史的瞬間 ガイアブックス
未開の島々には人食い人種が…
わたしが子どものころは、こういった話はあたりまえのように雑誌などに載ってました。
しかし人食い人種とは〝野蛮人〟のことで、文明人ではなかったのです。
ストレンジ・フルーツ 吾妻ひでお
1981年にフランスで起こった「パリ人肉事件」などもありましたので、文明人はそんなことはしない、とは思っていませんでしたが
社会全体で人肉食が容認されていたアステカ文明には、かなりびっくりしました。
非常時の心理「ひかりごけ」と「野火」
武田泰淳が『ひかりごけ』として小説化した、1943年のひかりごけ事件は、劇団四季によって舞台化されたものを観ています。
また、太平洋戦争末期、フィリピン戦線で食糧不足に陥(おちい)った日本軍を描いた映画「野火」(1959年版)も観てますので、遭難や戦争など非常時の心理としては理解できます
が、
食料に困っていない状況で、社会全体が食人を容認となると・・・
ミノタウロスの皿 藤子不二雄F
いや、ミノタウロスの皿は、物語全体を貫く概念はとてもおもしろいんだけど、あれは牛が人間を食う話で、人が人を食う話ではないから、ちょっと違うか…。
うろ覚えで申し訳ないけど
子どものころ雑誌で読んだ〝未開の食人族〟が、なぜ人肉を食べたのかというと、
いろんな理由の一つに「敵の勇者を食べることで、その能力を自分のものにする」という〝呪術的俗信〟があったと記憶しています。
ドラゴンボール「セル」
そうなると「ドラゴンボール」で、17号と18号を吸収して完全体になった〝セル〟の描写が、食人の概念に近いのかなぁ・・・。
肉体改造・筋力アップ・健康維持・・・
しかし、セルの行為を、肉や野菜からタンパク質やビタミンという【能力】を摂取し、筋力アップや健康維持に役立てている我々の〝食事〟に置きかえて考えてみると、決して間違っているとは言い難く・・・
まぁしかしこの問題は、あんまり突き詰めて考えすぎるとよくないね。
てなわけで・・・。
人を食った話ってゆーから、お笑いネタかと思ってましたぁ。
こぼれ話
画質の関係で「ミノタウロスの皿」を中央公論社版から小学館版に変更したんだけど、セリフが変わってました。
1987年発行【中央公論社】
1995年発行【小学館】
引用
料理メニューからひもとく歴史的瞬間 ガイアブックス
Hideo Collection2 十月の空 双葉社
藤子不二雄SF全短篇 第1巻 カンビュセスの籤 中央公論社
藤子・F・不二雄[異色短編集]1 ミノタウロスの皿 小学館