落語うどん屋【柳家小三治】
初めて観たんですが、先輩声優たちも絶対に——おそらく何回も——観てますね。
「うどん屋」のあちこちに、アフレコのスタジオや舞台で見た、先輩たちの演技と重なる部分がたくさんあったので、正直おどろいてます。
東京新聞「筆洗」より
▼まず登場人物の心持ちになって、その人の言葉として覚えていくというから、やっかいな作業だったのだろう
▼せりふや動きよりも人物の了見を重視した芸は派手さには欠けたかもしれぬが、その分、人間を丁寧に描けた。
どんなに滑稽な噺でもその笑いの裏にある、悲しみや寂しさのようなものまでつい想像させる。そんな高座だった。
談志さんの「凄(すご)み」や志ん朝さんの「華やかさ」に対し、小三治さんは「深さ」か
コラムニスト 堀井憲一郎
間合いを長く取る落語
間合いも長かった。
いわゆる「間」と呼ばれるものである。
ひとこと喋って、次の音が出されるまでの「音を出していない時間」のことだ。
「間」と言ってしまうと、これで何でも語れる気配がでるので、私はその言葉を避けて「間合い」と呼んでいる。
小三治は、これが長い。
文句なしにおすすめします。