感情と演劇と人工知能
これは人工知能における「感情論」ですが、演劇にも役立つと思います。
サイエンス・インポッシブル
機械が感情をもつことはありえないと言う人もいる。
しかし、感情の分析を試みながら人工知能の研究に取り組む科学者は、別のイメージを描いている。
彼らにとって、感情は人間性の本質などではなく、実のところ進化の副産物なのだ。
単純に言えば、感情はわれわれの役に立つ。
かつて森で生き延びるのを助け、今でも生命の危機を切り抜けるのに役立っている。
何かを「好む」ことは、進化においてとても重要だ。たいていのものは、われわれにとって有害だからである。
われわれが日々出くわす無数のもののうち、有益なのはひと握りしかない。
すると、あるものを「好む」ことは、害となりうる無数のものを排除して、助けとなるごくわずかなものを選び出すことに通じる。
一方、嫉妬も重要な感情である。確実に遺伝子を次の世代に残すには、生殖を成功させることが欠かせないからだ(だからこそ、セックスや愛をめぐっていろいろと激しい感情が生じる)。
羞恥心と罪悪感も、やはり重要だ。
共同社会で生きていくのに必要な社交的技能の習得を助けてくれるからだ。謝罪の言葉をいっさい口にしない人は、やがて集団から追い出される。すると生き延びて遺伝子を次の世代に渡す可能性が減ってしまうのだ。
孤独感も欠かせない。
一見したところ、孤独感は不要で無駄なようにも思われる。なにしろ人間はひとりでも生きられるのだから。
しかし、仲間といっしょにいたいという願望も、生存のために重要なものとなる。
われわれは、生きていくうえで集団のもつ資源に頼っているからである。
意思決定においても、感情は不可欠だ。
脳にある種の損傷を負った人には、感情を抱く能力がない。推理力に問題はないが、感情をまったく表現できないのだ。
アイオワ大学医学部の神経学者アントニオ・ダマシオ博士は、そうした人が往々にしてどれほどささいな決定もできなくなることに気づいている。
指針となる感情がないので、どの選択肢を選ぶべきか延々と迷いつづけ、決められないまま身動きがとれなくなってしまうのだ。
たとえば、一般の人は買い物に行くと、目に入るほとんどの品物について、高すぎる、安すぎる、派手すぎる、くだらない、ちょうどいい、といった無数の価値判断を無意識におこなっている。
ところが先述のような脳損傷を負った人の場合、どの品物の価値も同じに思えるため、時として買い物は地獄のようなことになる。
ロボットが知能を高め、自分で選択ができるようになると、こうした患者と同じように、決断できなくてその場で固まってしまう可能性もある(ふた山の干草のあいだに座り、どちらの山から食べるか迷っているうちに飢え死にするロバの寓話が思い浮かぶ)。
未来のロボットは、決断の助けとなるように、脳に感情を組み込んでおく必要があるかもしれない。
引用
サイエンス・インポッシブル NHK出版