コロナ禍で思うこと
ロボットのお医者さんや看護師さんができるといいね。
SFの話
ちがうちがう。2016年に東京大学医科学研究所で「ワトソン」(IBMのAI技術)が、がん患者の病因を突き止めたと報道されたでしょ。
ああ。東大医科研でワトソンが診断の難しい特殊な白血病をわずか10分ほどで見抜き、患者の命を救ったケースですね。*1
ロボットやAIは、新型コロナウイルスに感染しません。おなじ意味でエボラ出血熱だって怖くありません。無敵です。
ロボットのお医者さん、できたらいいね。
*1:人工知能、がん治療で助言 国内初か 白血病のタイプ10分で見抜く
膨大な医学論文を学習した人工知能(AI)が、60代の女性患者の白血病が治療などが難しい特殊なタイプだと10分で見抜き、適切な治療法の助言で回復に貢献していたことが4日、分かった。治療した東京大医科学研究所は「医療へのAI応用に大きな手応えを感じた」としている。
膨大なデータの学習で的確な判断を行うAIは、多様な分野で応用が模索されているが、今後は医療への応用が本格化しそうだ。
女性患者は昨年、血液がんの一種である「急性骨髄性白血病」と診断され同研究所に入院。当初の半年間は2種類の抗がん剤で治療したが回復が遅く、敗血症などの恐れも出てきた。
東大は昨年からIBMと共同で、がんに関連する約2千万件の論文をワトソンに学習させ、診療に役立てる臨床研究を行っていた。そこで、女性患者のがんに関係する遺伝子情報をワトソンに入力したところ、急性骨髄性白血病のうち、診断や治療が難しい「二次性白血病」という特殊なタイプだとの分析結果がわずか10分で出た。
ワトソンは治療法の変更を提案し、臨床チームが別の抗がん剤を採用。その結果、女性は数カ月で回復して退院し、現在は通院治療を続けているという。
産経ニュースより 2016.8.5 06:30
小間物屋のお駒は困りもの
滑舌トレーニング練習問題「小間物屋のお駒は困りもの」です。
男女2人で練習できる、別バージョンの外郎売だと思ってください。
お駒
それじゃ お父っあん 行ってきます。
約束のお時間がありますので。*1
駒吉
ちょいとお待ち、お駒。
お前さんがこれから伺う、武蔵野国狭山におすまいの指物師武蔵屋霜茂さんには霜之進という御子息があってな、その方とお前は古栗の切り口の古釘を打ち込んだ頃からの許婚、いささかのそそうがあっては後生の親代、相応のそしりはまぬがれぬ。*2
お駒
あれ、お父っあん、そのことなら早天早々豆州、下田の干物屋潮干屋緋十郎おじさんからもよおーくお聞きしています。お駒も、もう、桃栗三年、柿八年梅は切らずも十三年、桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿、墓、墓碑、碑文谷、広尾、広小路、ひとつ下って御徒町、もちーっと下って駒込の下町小町と道行く人のうわさもしきり、華も十八番茶も出花、花紅の菜の花は花に華はなかりしも霜降る頃の下野の下つかれにも下味に、つんつん鼻つく香りつくつくつくずくしの香辛料、家賃の書き換えも更新料、免許の目こぼしもみ消し料、量目品目木炭の木目まで指折り数え上げても揚げ足りぬ衣の中身は生のまま。処女、気くばり、着こなし、身のこなし、化粧ひとつも恥じらう気性、うぶ、ハブ、壬生、秩父、別府、湯布院の産湯で育ったこの日まで忘れるものじゃありません。*3
駒吉
はてさて長い口上は、紛れもなく儂の娘。
もちっと短くさくさくと、人前にても活かせれば、三十路までも一人身で行かずの売れずのぬれ衣を浴びる浴衣のまとわりもどかしさ。苦しまぎれのとぎれぬうちに、やっと報せの舞浜に波打ち際の合わせ貝、そのかいあってかあるまいまいつぶり、武蔵は狭山茶の香り指物指しても指ささず、仕上げ物の真贋至上の至極品、市場に品数品薄も、尤も成田の新勝寺・・・*4
まだまだ続きます。これでだいたい半分くらいです。
できるようになるコツは暗記すること。外郎売の上達法とおなじです。
台詞をおぼえちゃうと自分でもびっくりするくらいスラスラ言えるようになりますよ。
*1:
それじゃ おとっつあん 行ってきます。
約束のお時間がありますので。
*2:
ちょいとお待ち、おこま。
お前さんがこれからうかがう、むさしのくにさやまにおすまいの さしものしむさしやしもしげさんには しものしんというごしそくがあってな、その方とお前は古栗の切り口の古釘を打ち込んだ頃からのいいなづけ、いささかのそそうがあってはごしょうのしんだい、そうおうのそしりはまぬがれぬ。
*3:
あれ、お父っあん、そのことならそうてんそうそうづしゅう、下田のほしもの屋しおひ屋ひじゅう郎おじさんからもよおーくお聞きしています。お駒も、もう、桃栗三年、柿八年梅は切らずも十三年、桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿、墓、ぼひ、ひもんや、広尾、広小路、ひとつ下っておかち町、もちーっと下って駒込の下町小町と道行く人のうわさもしきり、はなも十八ばん茶もでばな、花くれないの菜の花は花にはなは なかりしも霜ふる頃のしもつけのしもつかれにも下味に、つんつん鼻つく香りつくつくつくずくしの香辛料、家賃の書き換えも更新料、免許の目こぼしもみ消し料、りょうもくひんもく木炭のもく目まで指折り数え上げてもあげ足りぬころもの中身は生のまま。きむすめ、気くばり、着こなし、身のこなし、化粧ひとつも恥じらう気性、うぶ、ハブ、みぶ、ちちぶ、別府、ゆふ院のうぶ湯で育ったこの日まで忘れるものじゃありません。
*4:
はてさて長い口上は、まぎれもなくわしの娘。
もちっと短くさくさくと、人前にてもいかせれば、みそじまでもひとりみで行かずの売れずのぬれぎぬをあびるゆかたのまとわりもどかしさ。苦しまぎれのとぎれぬうちに、やっとしらせのまいはまに波打ちぎわの合わせ貝、そのかいあってかあるまいまいつぶり、武蔵はさやま茶の香りさしものさしても指ささず、仕上げ物のしんがんしじょうのしごくひん、しじょうにしなかずしなうすも、もっとも成田のしんしょうじ・・・
ソクラテスの弁証法
目次
哲学の入門書を読んでいたら、こんな文章が目にとまりました。
「音程が悪いから、まず音程をしっかりとして基礎をかためなければいけない」
大きなお世話だ、そんなことは百も承知だといいたいが、ぐっとこらえて、
「そうですね。そのあたりが、うちの(音楽)サークルの泣きどころで課題なんですよ」とか、答えておく。
こういう聴き方をされれば、われわれのやっていることはほとんど無意味であり、無価値である。
しかし、私にいわせれば、こういう人は音楽そのものを理解していないし、音楽の楽しみ方を知らない人だ。
音程が悪いと酷評した人が、間違っているわけではない。そのとおりなのだ。しかし、そこにすべての評価の基準を持っていくのは、やはり問題である。
これは、悪しき100パーセント主義にほかならない。音程が悪ければもう、すべてがダメという減点主義の思想である。
これは、じつは自分へのこだわりがなせる業(わざ)なのだ。
つまり、自分の劣等感の裏返しなのである。
他人を低めれば、自分が上になるというわけだ。しかしそれでは何も楽しめなくなってしまう。
「好きこそものの上手なれ」
うまくなるには、まず楽しむこと。わたしもそう思います。
ソクラテスの【弁証法】
真相を見極め不整合を明らかにするために、さまざまな信念に隠されているものを暴き、そうした信念に疑問を投げかけるという方法が、ソクラテスの「弁証法」です。
1.「なぜ?」「どうして?」と深掘りして真相を見つけ出す哲学問答。
2.その過程であぶり出された、「だとしたら、これって間違ってるんじゃないの?」という、あたりまえをうたがう哲学。
3.「そんなの、あたりまえだよ」と、うたがいもしなかったことが、実はまちがっていた・・・。
昭和の声優養成所ではあたりまえだった、「荷物をまとめて故郷(くに)へ帰れ」という方式では楽しさは生まれませんね。
昨年11月2日のブログにも書きましたように、「生徒を叱咤することで、やる気が生まれる」という考えかたは幻想にすぎないと、わたしは思います。
「教える」と「叱る」を分けて考えよう
そしてワークショップの目的は「生徒を育てること」です。生徒を成長させるために、わたしたちのワークショップはあります。
生徒を貶(おとし)め、やる気をなくさせるためではありません。
「教える」と「叱(しか)る」は分けて考える必要があると思います。楽しく学んで成長しよう。
参考文献
哲学思想の50人 青土社
人間関係がこじれかけたとき読む哲学の本 講談社
韻文と散文
シェイクスピアについて知っている、2~3の事柄
シェイクスピアの戯曲は、韻文と散文が混在しています。
韻文(いんぶん)とは一定のリズム・韻をふんだ「詩」のことです。
散文(さんぶん)とは「小説」形式の文章です。
かんたんな見分け方
韻文の台詞は、ページの上半分しか使われない特徴があります。
が、
散文の台詞は小説と同じですから、ページの上から下まですべて使います。
どちらの台詞も散文で書かれていたが【※1】より、ヴァイオラの台詞のみ韻文に転じる。
新訳 十二夜 角川文庫より
ただし
出版社によって台詞の記載方法が違いますので注意が必要です。
私の知るかぎりでは
白水社・角川文庫・岩波文庫のシェイクスピア全集は、韻文と散文がきちんと分けられています。
一方で、新潮文庫のシェイクスピア作品は、すべてが散文(小説形式)で台詞が掲載されています。逆に、ちくま文庫では、すべての台詞がページの上半分に記載されていますので、韻文と散文を見分けるのは難しいですね。
とは言っても
新潮文庫のシェイクスピア全集の巻末にある福田恆存氏と中村保男氏の解説は、マジすごいです。必読です。
ちくま文庫は、(角川文庫と同じように) ページの下半分に台詞の注釈が載っていますので、すぐに台詞の意味を把握できるメリットがありますね。
また、同じ場面の韻文を読み比べるのもおもしろいですよ。
角川文庫 新訳十二夜より
白水社より角川文庫のほうが、同じ韻文でも、一定のリズム・韻をふんだ「詩」であることが分る翻訳になっていますね。
ですが舞台で演じる場合、「どちらの翻訳のほうが観客に伝わるのか」という問題もありますので、これだけで優劣はつけられないと思います。
こんなウンチクも交えながら、シェイクスピアのレッスンもおこなっています。それでは、また。
「表現」と「表出」
目次
社会学者の宮台真司さんが「表現」と「表出」について論じておられました。
宮台さんは、演劇とは関係ない意味で述べられたのですが、この理論、演劇にあてはまります。
〈感情の劣化〉とは、簡潔に述べると、真理への到達よりも、感情の発露の方が優先される感情の態勢です。
つまり、最終的な目的が埒外(らちがい)になってしまい、過程におけるカタルシスを得ようとする傾向。
別の言い方だと、感情を制御できずに、〈表現〉よりも〈表出〉に固着した状態です。
ちなみに〈表現〉の成否は相手を意図通りに動かせたか否かで決まり、〈表出〉の成否は気分がスッキリしたか否かで決まります。
あるアニメのプロデューサーさんから言われたことを、宮台さんの理論を読んでいて思い出しました。プロの劇団とアマチュアの違いについてです。
プロの劇団とアマチュアの違い
-
プロの劇団とは
お客さんを感動させられる集団。 -
アマチュアとは
お客さんではなく、自分が感動している集団。
宮台さんの理論にあてはめてみましょう。
〈表現〉の成否は相手を意図通りに動かせたか否か
つまり「この場面ではお客さんを笑わせよう」「ここでは涙してもらおう」と、自分の演技プラン通りに観客の気持ちをコントロールできるからこそ、お客さんを感動させられる。それがプロの劇団。
〈表出〉の成否は気分がスッキリしたか否か
ここで笑ってもらおう、泣いてもらおうと思っても、演技力がないため観客に伝わらず感動させることができなかった。でも自分は精一杯やったからスッキリしている。満足だ。それがアマチュア。
「表現」と「表出」おぼえておこうね。
朗読「グリーン・レクイエム」ロングバージョン
目次
「別バージョンの朗読音声」5月30日・追加
10分間の朗読に、いっさい手は加えていません。音声を録り直して差し替えるとしたら、この2箇所【合計44秒】ですね。
ご存知の方も多いと思いますが、アニメやゲーム・外国映画の吹き替えなどの演技は、失敗した部分は録り直して編集しています。それがあたり前なんです。
生徒の朗読は録り直していませんから「集中力」も半端じゃないことがわかります。
10分間をアニメ番組でたとえると、30分アニメのCMや歌・予告をカットした前半後半が、だいたい「10分」+「10分」になります。
アニメのAパートを1人の声優がまるまる担当したことになりますから簡単でないことはお分かりいただけることと思います。
本日、練習したのは、先週5月19日のブログで紹介した「グリーン・レクイエム」と同じ場面のロングバージョンです。
たったの一週間で、ものすごく上達してくれました。とてもうれしいです。
ぜひ皆さまも、ご自身の耳で生徒の成長を確かめてあげてください。よろしくお願いします。
「グリーン・レクイエム」は【本の朗読】であることは間違いありませんが、より厳密に分類すると【モノローグ・独白・長台詞】のレッスンにカテゴライズされます。
「白雪姫などの朗読とはちょっと違うよ」そんなことも話しながらレッスンを進めている今日この頃です。