もっこり💗は翻訳不可能
TBSラジオ アシタノカレッジによると
もっこりに相当するフランス語は、ない
日本のマンガを海外で販売する場合、セリフや擬音を外国語に翻訳するんだけど、どうしても翻訳できない言葉があるんだって。
へー
「もっこり」も、ムリにフランス語に翻訳しないで、あえて日本語のまま「もっこり」と表現するんだって。
他にも、笑いを意味する「ニヤニヤ・ニタニタ」も、フランス語にはないんだって。
また「お腹がペコペコ」に当たるオノマトペもなくて、英語でいう「ハングリー」みたいな「文章」になっちゃうらしいですよ。
そして究極のオノマトペが、シーン。
オノマトペは、ドカーンのように基本的に「音のある状態」を表すんだけど、音のない「シーン」というオノマトペがあることは、ちょっと考えられないんだって。
日本語、恐るべし
情報元
アシタノカレッジ
妹萌え💗と父となる話
メッチャ都合よすぎ
ありえない
へそが茶を沸(わ)かしますね
・・・だけど
なんだかいいなと思っちゃう話が——。
父となる話 川端康成
「これがお前のお父さんだと、お母さんが死ぬ時にくれた写真なのよ。東京にいるはずだから、お前が大きくなったら頼ってお行きって。」
浅草を追われて、もう半年も田舎廻りのレヴュー団の一員、萬里子。
ところがルイ子が
「あら、これがお父さんだと、萬里子さんたいへんよ。S興行社の支配人とそっくりよ。親子の名乗りをすれば、もうこんな旅廻りなんかしてることなくってよ。私が支配人に手紙書いて上げるわ。」
というわけで、僕は娘が見つかったという手紙を受け取ったのでした。
萬里子の生れは、静岡だといいます。
「静岡といわれてみれば覚えがある。」と、僕は萬里子を僕の隠し子ということを話して、知り合いの映画会社に使ってもらうことにしました。
ところが一月ばかりすると、撮影所の男がやって来て
「撮影所に静岡の男がいて、あの人のおやじもおふくろも知っているというんですがね。おやじは漁夫で、四五年前にみじめな死に方をしたそうですよ。おふくろが若いころ、一膳飯屋の女中をしていた時、二人の間に生れた私生児だそうで。」
「そんなはずはない。」
と、撮影所の男はごまかしたものの、そういわれておぼろげながら思い出されるのは、その飯屋の女中が連れていた五つ、六つの子供です。
あの女の子が萬里子だったのか。
しかし僕はその次萬里子に会っても、なんにもいわないつもりでした。ところが萬里子は突然泣き崩れて、
「私はほんとうのお父さんを知っていましたの。お母さんが亡くなった後で、これが私のお父さんだと、お母さんに貰った写真を見せると、近所の人に笑われましたわ。お前のお父さんは、あの源八という漁夫だって。
お母さんを堪忍してしてあげて下さい。
お母さんがあなたをどんなにすきだったか、私にはよく分りますわ。これがお父さんだ、頼ってお行きって、たった一人の子供に遺言したくらいですもの。そうして私——。」
と、萬里子は口籠りましたけれども、僕は彼女のいいたいことがよく分りました。
つまり、萬里子は母から写真を貰った時から、僕に不思議な愛を感じはじめていたのです。
いい加減にしなさいと突っ込みたくなる、わずか4ページの短編小説が「父となる話」です。
最高におもしろいです。*1
「妹萌え💗」で紹介した「孤児の感情」が、こんな展開になってくれて、「あとは読者の想像におまかせします」みたいなラストだったら文句なしだったのにな、なんて思う今日この頃でした。
参考文献
川端康成全集 第二十二巻 新潮社
ではなぜ「孤児の感情」を、そういう展開にしなかったのか
遺伝です。
川端康成は、妹の婚約者、笠原を遺伝学者という設定にしました。
それにより、妹に惹(ひ)かれる主人公の心に楔(くさび)を打ち込んだのです。
孤児の感情 川端康成
千代子は、私の妹であるという記憶のようなものを、彼女の頭の中に持っている。
しかし、若(も)しそれを忘れてしまったら——。
「私は妹と結婚するだろう。」
しかし、私と妹とは同じ遺伝を受けている。だからいけないのだ、と私は呟(つぶや)く。
遺伝。遺伝。——笠原は遺伝学者である。
——なぞと考えた時、さっきから私を愚かな妄想に耽(ふけ)らせていた「夜」というものを追払うかのように、私は激しく頭を振った。
大衆娯楽小説ではない純文学の世界では、川端康成は遺伝の問題——近親相姦——を軽々しく扱うことは嫌だったのでしょうね。
*1:
【べつの視点からの意見】
ただ「父となる話」の萬里子は、「清純なふりをしながら男を手玉に取っているんじゃないか」という、うがった見方もできちゃうのが残念ですね。特にラストのセリフから・・・。
そういう意味でいうと、同じようなラストの「母の初恋」のほうが、好感が持てるにゃ。
時代の祝福
時代の祝福 川端康成
そう、そう、私は地震の時に (関東大震災のこと) ずいぶん沢山の惨死体(ざんしたい)を見ましたが、同じように腸(はらわた)を飛び出して隅田川に浮んでいるのでも、私は人間よりも馬の死骸(しがい)に涙を流してやりました。
だって、人間は自分自身が作り出した都会だとか家だとかいう生活形式のために焼け死んだのだ。
いわば自業自得(じごうじとく)だ。
ところが馬は、馬自身の生活形式を人間の手に奪われていたからこそ死んだのじゃないでしょうか。
諸君は馬を笑うか。
人間の生活形式だって何かに強(し)いられてこうなっているのではなかろうかと、疑えば立派に疑えるのです。
———こんなことを云ったって、私は原始に憧(あこが)れているわけではありません。
自然に還(かえ)れなんて、そんなお月さまと結婚するようなことを考えているのでもない。
わたしの云っているのはただものの譬(たと)えです。
新型コロナ、気候危機・・・視点を変えて読んでみると川端康成の言葉は現代でも十分に通用します。
それを悲しいと感じるか、いやいや人類は何度となく立ちはだかる困難という壁を乗り越えてきたのだ、と解釈するか。
いい世の中になってほしいです。それでは、また。
私の答えは「両方」です。
つまり、悲しいと感じるからこそ、乗り越えようと思います。
いい世の中になってほしいですね。
行動の観察と読解とスパイ小説
台本を読み解くには行動を観察しよう
2020年8月6日のブログより
台本に書かれた登場人物は、いろんな言葉(セリフ)をしゃべります。その言葉は本当のことだったり、あるいは完全なウソだったりと、さまざまです。
その言葉がウソか本当か見抜くには、登場人物の行動を観察しましょう。
と、以前のブログでお話しましたが
うってつけの小説があったので、紹介させていただきます。
寒い国から帰ってきたスパイ
「食べたらいいじゃないか」女看守はくりかえしいった。
「みんなもう、おわったんだから」
同情からではない。せっかく食事を出してやったのに、なぜ手をつけようとしないのだろう?この女、ばかなのかしら、と思っているようだ。
「おなかがすいていないのです」
女看守は肩をすくめて、
「これから、ながい旅行をすることになるんだよ。行きついたところで、思いどおり食べられるわけでなし」
「どういう意味?」
「イギリスの労働者は飢えている」女は、自分ひとり満足しながら、しゃべっている。「資本家がかれらを飢えさせている」
リズはいいかえしてやりたかったが、なにを、どういってよいのかわからなかった。
「イギリス人か!金のあるやつらがおまえさんたちの将来を食いものにしている。おまえさんたち、そいつらに食べものを提供しているんだ——それがイギリス人の現状だよ」
「じゃ、ここはスパイの監獄なのね?」
「社会主義世界のリアリティを認識するのに失敗した連中を入れとく刑務所だよ。———要するに、叛逆者の牢獄さ」
「あのひとたち、どんなわるいことをしまして?」
「コミュニズム社会の建設は、個人主義を絶滅しないことには実現できないんだ。敷地に豚小屋があったんじゃ、大きなビルが建たないからね」
リズはびっくりして、彼女をみつめた。
「それ、みんな、だれの言葉?」
「あたしはこれでも地区委員だよ」女看守は誇らしげにいった。「この刑務所が受持ち地区でね」
「えらいかたなのね」
とリズが、そばによっていうと、
「あたしは労働者さ」彼女はきつい顔になってこたえた。
「ただし、頭脳労働者の考えることが高級なカテゴリーだと見るような誤謬(ごびゅう)は抹殺してもらいたいね。そんなカテゴリーなんて、あるわけじゃない。労働者はひとつさ。肉体労働者と頭脳労働者はアンティテーゼじゃないんだよ。おまえさん、レーニンを読んだことがある?」
「じゃ、この刑務所に入れられてるのは、知識人ばかりなのね?」
女は笑って、
「そういうことになるね。自分では進歩主義者と称している反動主義者。個人のために国家と闘おうと考えている連中さ。フルシチョフがハンガリーの反革命について、なんといったか知ってるかい?」
リズは首をふった。
「こういったんだよ————〝もっとはやく、著述家たちを射殺しておいたら、こんなことは起こらないですんだ〟って」
「まだ、食べたくないのかい?」
そして彼女はデスクの上の皿を指した。リズは首をふった。
「じゃ、あたしが食べておこうか」彼女はいって、気がすすまないのに、代って食べてやるといった格好を、グロテスクなほど誇張して、「ポテトまでつけてあるじゃないの。調理場に、おまえさんの恋人がいるらしいね」
その冗談で、自分から愉快になったようすで、その笑顔を、リズの皿を食べおえるまでつづけていた。
「寒い国から帰ってきたスパイ」は、1960年代の初め、東西冷戦の真っただ中で繰り広げられる、スパイの工作活動を描いたミステリー小説です。
東側の女看守は、イギリス(西側)の資本主義を蔑(さげす)み、自分たちの社会主義政策を誇らしげに語っています。
女看守の言葉にウソはないでしょう。本気でそう信じているんだと思います。
ただ女看守の行動をみていると
リズに出された食事を最初から最後まで気にしてるんです。
そしてリズが食べないと知るや、気が進まないふりをしながら「ポテトまでつけてあるじゃないの」と大喜びで食べ始めます。
お腹がすいているのかな、ふだんお腹いっぱい食べられていないのかな・・・。
「ポテトまでつけてある」というセリフからは、ジャガイモも満足に食べることができない食生活なのかな・・・。
女看守の信じている政策を続けた結果、こうなってしまったのかな。
だけど女看守は、その理想と現実が乖離(かいり)していることにまったく気がついていないんだな、ということがみえてきますね。
——とは言っても
女看守のセリフ
「おまえさんたち、そいつらに食べものを提供しているんだ——それがイギリス人の現状だよ」
女看守の語る西側の資本主義と、川端康成の「時代の祝福」には共通する点がありますね。
時代の祝福 川端康成
けなげに早瀬へ潜って鮎(あゆ)を捕える鵜(う)は、自分の獲物が咽(のど)を通らないように首を絞められている。そして飼主に口の中の魚を搾(しぼ)り出される。だから何十匹の鮎を捕えても彼は飢えている。
これは今日の多くの生産者の姿そっくりである。
これは今日流行の鵜飼の見方である。
人間はすべて鵜である。
「時代の祝福」は、1927年ごろの執筆と推定されています。世界大恐慌がはじまる2年前です。
戦後の日本人の常識の一つに、世界恐慌はルーズベルト大統領によるケインズ型の財政政策によって回復した、というものがあります。
ニューディール政策とは、1930年代にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが「このままではいけない」と世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策です。その結果、経済状況は回復していきました。
「寒い国から帰ってきたスパイ」は、1963年に出版されました。日本でいえば「昭和恐慌 (世界恐慌のこと)」「戦後の混乱期」を脱して「一億総中流」に向かっていた時代です。
女看守の頭の中にある資本主義社会の情報は、「時代の祝福」あたりの状態で止まっていて、ニューディール政策や日本の一億総中流という新しい情報【時代の変化】がインプットされていなかったのではとも推測できます。
しかし現在の日本は「一億総中流」ではなくなりました。貧富の格差が拡大しています。女看守を反面教師として、いろいろ考えていきたいですね。
「資本主義、社会主義どちらが優れている」と対立するんじゃなく、お互いの主義の【いいとこ取り】をして、大きく発展していく道はないのかな、なんて私は考えています。
いつのまにか、理想と現実がかけ離れてしまうことって往々にしてあると思います。だからこそ、いろんな視点からいろいろ考えて、いい世の中になってほしいです。それでは、また。
参考文献
寒い国から帰ってきたスパイ 早川書房
文豪怪談傑作選 川端康成集 片腕 ちくま文庫
P.S. 女看守のセリフ
「おまえさん、レーニンを読んだことがある?」
レーニン主義とは
スターリンは、レーニンによって、マルクスの思想の唯一、真正な継承発展がなされたと主張し、マルクス・レーニン主義と呼んだ。
世界恐慌の真っ只中でも目覚ましい経済発展を遂げたと伝えられたこと、第二次世界大戦において強大なナチス・ドイツとの戦争に勝ち抜いたことなどで、ソビエト連邦及びスターリンの政治的威信は増大し、アジア・東欧・アフリカ・カリブ海域において、多くの「社会主義国」が生まれて世界を二分した。
しかし、1970年代に入り経済発展の面で西側先進国からの立ち遅れが顕著になったこと、政治的な抑圧体制も広く知られることとなり次第にその権威は失墜、1991年のソビエト連邦の崩壊に前後して、そのほとんどは姿を消した。
ウイキペディアより
今年の節分は124年ぶりに
今年の節分は2月2日
節分は1985年から2020年までは2月3日でした。
が、
1984年までは4年に1度の閏年(うるう年)は2月4日が節分だったんです。そして今年2021年からは閏年の翌年の2月2日が節分になるんですね。*1
でも、なんで
毎年同じ日でもいいんじゃないの。変えなきゃいけない理由はあるの。
節分とは「立春の前日」のことです。そして立春とは「太陽黄経が315度となる日」と決まってるんです。
立春も1985年から2020年までは2月4日でした。だけど2021年からは2月3日が立春という日が現れます。暦の補正のためで、それに伴い、節分の日も変わるというわけなんですね。
豆まきの歴史
この時期はまだまだ寒く、ちょっとした風邪が大病につながったりします。そんな病魔を、人々は鬼、あるいは疫鬼(えきき)として恐れました。*2
鬼払いの風習は、中国を由来とする平安時代の追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事を元としているとされます。
豆をまくようになったのは室町時代からで、これは「魔滅」(まめ)に由来します。鬼の目である「魔目」(まめ)を滅ぼす力を持つ「魔滅」すなわち「豆」なのです。
ダジャレ? ですね。
豆は「五穀」(米、麦、ひえ、あわ、豆)のひとつです。農耕民族である日本人の生活に欠かせないもので、力が宿るとされてきました。これを穀霊(こくれい)信仰といいます。
中でも豆と米は神聖な存在として、鬼を払う力を持っていると信じられていたのです。
だから、魔滅(まめ)まき・・・。
いろんなことを知るのって楽しいね。それでは、また。
参考・情報元
ウィキペディア
JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD
がん治療経過報告
現在、2週間に一度、外来で化学療法(がんの治療)を行っています。
経過は良好
主治医の先生から「あと1年は大丈夫、保証する」とのお言葉もいただきました。
がん治療の効果が表れているか目安となるのが、CEAとCA19-9の2つです。(あくまで目安だそうですが)
この2つとも測定値は改善しています。
またCTスキャンの画像診断でも、がんが縮小していました。うれしいですね。
ただCEAとCA19-9は【基準値】と比べると、改善はしているものの異常な数値であることには変わりないので、がんが完治するとかの話ではありませんけれども。
副作用
私の場合は「高血圧」です。
平均で160くらい、高いときは180。入浴しようとしてバタンキューで死んじゃうレベルです。
治療薬に血圧が上がる薬が混じっているので、さけられない副作用だそうです。
減塩しても効果がなかったので、血圧を下げる薬を増やしてもらいましたところ、なんとか下がってはきています。
その他、よくある副作用に「髪の毛が抜ける」というのがあります。
ですが私はまったく大丈夫。髪の毛は抜けてません。(年を取って髪が薄くはなってきていますが)
人によって副作用は異なるんだそうですが、*1 私としては高血圧と抜け毛の副作用を取り換えてほしいと思ってます。神様っていじわるです。
まあ、なんにせよ、のん気に面白がって毎日を過ごしてます。それでは。
めざせ!来年のお正月💗
*1:
がん治療薬の成分は人によって違うそうです。DNAを解析することで、その人に一番あった薬に調整するんだそうです。