ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

惑星直列

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「惑星直列」って、どんなものなのでしょうか。

実は天文学では、この用語は存在していません。一般的には、いくつもの惑星が見かけ上ほぼ同一方向に位置することを、惑星直列と呼んでいるようです。

ただ、完全に直線に並ぶことはありません。惑星の軌道面はほんの少しずつずれていますし、同じ方向に来るのはよほどの偶然が重ならないと難しいからです。

たくさんの惑星が完全に同一方向に来ることは、過去も将来もあり得ず、直列といっても見かけ上、せいぜい数十度の範囲に集まるに過ぎません。

惑星直列以外にも、その配置によって「グランドクロス」などという呼び方があるようですが、いずれにしろ天文学的にはあまり意味がありません。

こういった特別な配置、特に直列に並んだときには、それぞれの惑星の引力によって同じ方向から地球が引っ張られ、地震や噴火が起こって危険なのでは、と心配する人もいるようです。

しかし、潮の満ち干を引き起こす月の潮汐力(ちょうせきりょく)、引力が地球表面に及ぼす力に比べると、これらの惑星の影響は微々たるものです。

理想的に惑星が一直線に並んだとしても、そのときに地球に及ぼす潮汐力を計算してみると、地球に災厄を及ぼすレベルには遠く及びません。

たとえるなら、1万トンの岩盤の上に1キログラムの肉を乗せるくらいの影響しかないのです。

その意味では、惑星の配置がどうなろうと、地球に影響はないといっていいでしょう。

引用
太陽系惑星の謎を解く 株式会社シーアンドアール研究所

マリリン・モンローとメソッド演技

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スタニスラフスキー・システム——メソッド演技——は1つじゃなくて、たくさんあります。

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マリリン・モンローが傾倒したメソッド演技は、リー・ストラスバーグのメソッド演技で、思い出したくない過去や経験もつかうことで、現在では危険視されています。

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ウタ・ハーゲンのメソッド演技では「思い出したくない過去は使うな」と教えています。

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自分の経験を突き詰めるだけでは、歴史上の人物や王様など、自分以上の偉大な人物は演じきれない、と考えるのが、他のメソッド演技です。

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マリリンは薬物と精神分析医への依存をますます強めていった。彼女の主治医となった精神科医のグリーンソンがつきっきりとなった。

マリリンが精神科医に依存するようになったのは、スタニスラフスキー・システムとも関係があった。

この演技理論では与えられた役の人格をとことん突き詰める。

自分がこれまでに体験したことのなかから、その人物とそのときの感情と一致もしくは似ているものを探す。つまり、自分の内面を見つめる作業が必要となる。

マリリンのように消したい過去しかない女性には、それは危険な作業だった。
その結果、彼女の精神は不安定になる。

彼女は忘れたい過去を思い出さなければならないのだ。

引用
大女優物語 新潮社

seiyukenkyujo.hatenablog.com

                                                               

「お熱いのがお好き」ウラ話

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マリリンの「お熱いのがお好き」は観始めると笑いが止まらない作品である。

だが撮影現場は重苦しい雰囲気だった。

撮影初日からマリリンは遅刻し続けた。それだけではない。監督のワイルダーがオーケーと言っているのに、マリリンは何度も撮り直しを求めた。

ワンカットのために十回も十五回も撮るのは当たり前となった。

なかには五十九回も撮り直したシーンもあった。共演者たちはそのたびに同じことを繰り返さなければならない。

さらに演技が終わるたびに、うまくできなかったと言って泣くために、メイクも直さなければならず、スタッフと俳優の全員が待たされる。

全員がマリリンにうんざりするようになっていった。

だが、ワイルダーはマリリンがやり直せばやり直すほど、その演技がよくなっていくことに気づいていた。

現場は嚙み合わなかった。

撮影が進むにつれてマリリンの睡眠薬の量は多くなっていった。

この映画は公開されると大ヒットした。

批評家たちのあいだでの評判もよく、マリリンは改めて喜劇女優としての才能を認められた。

しかし、試写会で爆笑する観客を見て、マリリンは自分が嘲笑されているのではないかと思い、傷ついていた。

笑われることを嫌がるようでは、喜劇役者は向かない。

マリリンの回路は少しずつ誤作動するようになっていく。

マリリンの「お熱いのがお好き」は、マスコミでの批評はよく、千五百万ドルの興行収入を上げた。

引用
大女優物語 新潮社

演技論の違い

「王子と踊り子」で、ローレンス・オリヴィエマリリン・モンローは共演しました。

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ローレンス・オリヴィエは二十世紀のイギリス最大の俳優である。シェイクスピアの専門家で、映画にも数多く出演して多くの名作を遺している。

オリヴィエは、マリリンが傾倒するスタニスラフスキー・システムの、役柄の内面を摑み、その人物の感情と自分のそれとを合致させていく演技法を認めていなかった。

オリヴィエは、内面というものはあくまで外部のさまざまな細部の動きの集積によって表現されるべきだと考えていた。

それが伝統的なイギリス演劇の基本だった。

彼にとって演技はあくまで個人の技術なのだ。オリヴィエに言わせれば、役者同士で議論したり、経験を思い起こしたりする暇があったら、何度も稽古をしたほうがいい。

練習することで俳優は技術を会得していくというのが、彼の演技観だった。

美内すずえの「ガラスの仮面」を例にすれば分かりやすいかもしれない。北島マヤスタニスラフスキー的で、姫川亜弓がオリヴィエ的なのだ。

引用
大女優物語 新潮社

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わたしは「いいとこ取り」をモットーとしていますので、役者同士で議論したり、トラウマ以外の経験を思い起こしながら、何度も稽古を積み重ねよう、という考えです。北島マヤ姫川亜弓も、どっちも好きです。

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マリリン・モンローは演技派女優

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「百万長者と結婚する方法」の撮影が始まった。

この作品でマリリンの喜劇役者としての才能に光が当たる。このことから、彼女は単なるセクシー女優ではないと言えるだろう。

喜劇役者にこそ、かなりの演技の才能が必要だということは同業者にはよく知られているが、一般的にはあまり理解されていない。

「あの人はおかしな人だ」と思われるだけで、演技だとは思ってくれないのだ。もちろん、演技だとすぐにばれてしまうようでは本当の喜劇役者とも言えないので、そこが難しいところである。

日本でも、多くの喜劇役者が年齢を重ねていくにしたがってシリアスな役をやりたがるのは、演技者としての才能を評価してほしいとの悲痛な思いからである。

だが結局のところ、シリアスな性格俳優へ転身したらしたで、演技者としては評価されても人気は失うことになる。

マリリン・モンローの場合、喜劇役者としての一面と、セクシー女優としての一面の両方で人気が出たが、それゆえに彼女は、「私は本当はシリアスな役ができるのだ」と訴え続けることになる。

そして、誰もそれを理解しない。

引用

大女優物語 新潮社

寒暖差が激しい

一年のうちで、月初めの1日から月終わりの30日で、いちばん寒暖差が激しいのが4月なんだそうです。

ラジオで気象予報士さんが言ってました。

今日は2月中の気温だそうです。寒いですね。

お体ご自愛下さい。

マリリン・モンローとヌード

マリリン・モンローは無名時代、お金がなくてヌードになりました。その、ことの顛末です。

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「芸術的なヌードをカレンダーにする」という企画だった。マリリンはこの話に乗り、真紅のカーテンの上で彼女は全裸になった。

写真の権利はカレンダー会社が五百ドルで買い取り、マリリンは五十ドルを貰っただけだった。日給とすれば高いほうなのかもしれないが、彼女はあまりにも安く自分を売ってしまった。

ヌードカレンダーは、アメリカじゅうのガソリンスタンドに貼られていた。それを見た何人かが、最近観た映画に出ていた娘ではないかと思った。二十世紀フォックスには脅迫まがいの手紙が届くようになった。

現在ではヌードなど珍しくも何ともないが、当時は映画のなかですら女優のヌードはご法度だった。人気女優のヌード写真など、存在してはならないものだった。それが、あった。

マッカーシズムは、共産主義者を追放しようとしただけでなく、性的モラルに対しても厳しかった。二十世紀フォックス幹部の中には、会社の存続が危ないのではないかと脅える者まで出てきた。

マリリンは会社に呼び出された。もみ消すにしろ、そうでないにしろ、会社としては真相を知る必要があった。

マリリンはそのヌードが自分のものであると、あっさりと認める。首脳陣は頭を抱えた。

一週間後、マリリンは女性ジャーナリスト、アリーン・モスビーのインタビューを受けた。

「アリーン、困ったことになってるの。数年前、お金がなくて不自由していたとき、知り合いのカメラマンにヌード・モデルをしてくれって頼まれたの。それで五十ドルもらったの。本当に必要だったの。これって、そんなにいけないことじゃないでしょう。そうしたら、その写真がカレンダーに使われたみたいなの。会社からは私のヌードだって認めると、キャリアが台無しになるから、否定しろって言われているの。でも、噓をつくことはできないわ。どうしたらいいかしら」

モスビーの記事は三月十三日のロサンゼルス・ヘラルド・トリビューンに掲載され、それをさらに全米のメディアが後追いした。

彼女の言い分——お金がなくて、仕方なくヌードになった、そんなに悪いこととは思わなかった——が報じられると、大衆はマリリンを支持した。

いったい、どこが悪いのだ。マリリンは「正直」だとも評価された。

あっさりと認めたことで好感を得たのだ。そして、ヌードになったのを恥じていないことも評価された。男性は単純に喜び、女性は生活のために裸になった彼女に同情した。

マリリン・モンローは一躍、全米中にその存在が知られるようになった。

引用
大女優物語 新潮社