ストーカー
川端康成の「みずうみ」はストーカーが主人公なんだよ。変態小説ですぅ。
では、なぜ川端康成は、そのような小説を書いたのでしょうか
処女作の祟り 川端康成
一高の「校友会雑誌」に「ちよ」という小説を出した。これが僕の処女作である。
その頃一高の文科生の間には三越や白木屋の食堂へ女給を張りに行くことが流行していた。僕等は毎日それらの百貨店に通って、珈琲(コーヒー)や汁粉を飲みながら食堂に二時間も三時間も坐っていた。
僕等は名も知れない女給を胸に附けた番号のドイツ読みで呼び、大きい眼が腺病質に潤んだ青い少女を花札になぞらえて「青丹」と呼んだ。三越の十六番(ゼヒチェン)と白木屋の九番(ナイン)とが僕等の人気の中心だった。
僕は友人の松本に言ってやったもんだ。
「カバンさえ提(さ)げてりゃ学校の帰りだと思うよ。同じ方角に家があるんだと思って怪しみやしないよ。そして女の家までつけていけばいいんだ。」
その前の日僕はカバンを提げて白木屋の退時を待ち、九番と同じ電車に乗ったのだった。彼女は金杉橋で下りた。そして、彼女が目黒行に乗換えるのを見ていながら、僕は一つ後の天現寺行に乗ってしまった。前の電車を見失ってから、僕はどこで乗換えたのか分らないが、気がついてみると秋の夕日に色づいた郊外を走っていた。
翌る日も勿論日本橋へ行ってみると、白木屋前にカバンを提げた一高生が呆然と立っているんだ。
松本だ。
僕はからからと笑い転げながら、松本が寮へ帰るのを待ち兼ねて、茶菓部へ引っぱり込んだ。
彼は九番と同じところで電車を下りると話しかけたそうだ。彼女は家へ来て母に話してくれと言いながら、自分の雨傘に入れてくれた。
彼女の家は麻布十番の裏通りのせんべい屋だった。母と弟がいた。娘にはもういいなずけがあって、医学校に通っていると、母が言った。
そして彼女は古村ちよ子というのだそうだ。
そこで僕は彼女に渡せなかった原稿紙十六枚の恋文を破って「ちよ」という小説を書いたんだ。
「処女作の祟り」で、すでに川端康成はストーカーの話を書いていました。
川端康成は一高の生徒でした。*1ウィキペディアによると、似たような出来事は実際にあったようです。ですが小説の内容は架空の物語であると川端康成自身が語っているそうです。
この小説が書かれた当時の大学進学率は10%以下、今よりも学生は信頼されていたのでしょう。そういうこともあって学生がストーカー行為をしても警戒されにくかった時代だったことが考えられます。ちなみに現在の大学進学率は50%を超えています。
そして川端康成の代表作「伊豆の踊子」*2も、ある意味ストーカーのお話だったのです。
伊豆の踊子
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白(こんがすり)の着物に袴(はかま)をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。
私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駈(か)け登った。
ようやく峠の北口の茶屋にたどりついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。
そこに旅芸人の一行が休んでいたのだ。
踊子は十七くらいに見えた。
私はそれまでにこの踊子たちを二度見ているのだった。最初は私が湯が島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。踊子は太鼓を提(さ)げていた。
私は振り返り振り返り眺(なが)めて、旅情が自分の身についたと思った。
それから、湯が島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段(はしごだん)の中途に腰を下して一心に見ていた。
——あの日が修善寺で今夜が湯が島なら、明日は天城を南に越えて湯が野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。
川端康成は、みづうみ(1954年1月-12月)で、いきなりあんな内容の小説を書いたわけではなく、伊豆の踊子(1926年1月-2月)や、処女作の祟り(1927年5月)のころからそのような傾向はあったことがうかがえます。*3
川端康成は、伊豆に毎年のように通っていました。人生の豊かな経験が世界に誇る名作へとつながっていったのでしょうね。
*1:
第一高等学校は、現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部の前身となった旧制高等学校。「旧制一高」とも呼ばれる。
*2:
川端康成は、新感覚派の作家としてスタートし、映画にも深い興味を持っていた。
川端の作品に映画的な技法が見られることはしばしば指摘されるところだが、実際よく映画化された。
その代表作が「伊豆の踊子」だろう。
これまでに六回。しかも、踊子の薫(かおる)役は、すべて当時のアイドルばかりである。
参考文献
ノーベル賞なのにィこんなにエロティック?文豪ナビ川端康成 新潮文庫
*3:
「みづうみ」は発表当時のタイトル。
現在は、「みづうみ」と「みずうみ」の両タイトルが出版されています。