犯罪と屋根と壁の法則
時代の祝福 川端康成
——私は先年の東京大地震の直ぐ後で浅草の小学校の屋上庭園へ登ってみたことがありました。
鉄筋コンクリイトの四階建でしたが、ちょうど私の傍(そば)に巡査が一人立っていて、まだぶすぶす煙が立っている見渡す限りの焼野ヶ原を見晴しながらにやにや笑っているのです。
ふん、なるほど、と私は思いました。
彼は実に便利な世の中になったと思っていたにちがいないのです。
つまり、屋根と壁がすっかり焼け落ちてしまって都会が裸になった。
あすこの道角で一様にしゃがんでいる人の群は、あれは時計屋の焼跡で貴金属や宝石を漁(あさ)っている餓鬼共(ガキども)だ、そら遥かかなた西の方角に金庫破りの賊が現れた、まあこんな風にいろんな犯罪が自分の掌の上のことのように見つかるんですからな。
巡査は今の交番の代りに火見梯子(ひのみばしご)のようなものを作って、その上から望遠鏡で四方八方を睨(にら)んでりゃいいんですからな。
もろもろの犯罪が造作なく見つかるばかりじゃなく、屋根と壁とがなかったら、人間の罪悪なんか硝子(ガラス)の壊れた温室の花のように殆ど皆根から枯れてしまうかもしれません。
屋根と壁は雨風や暑さ寒さを凌ぐためでなくて、罪悪が天日にさらされるのを隠すためのものかもしれません。
人生のもろもろの苦しみは人間が屋根と壁を作り出した時に初まった。こういう金言はどうです。
「屋根や壁は犯罪を『隠す』ためのものかも」なかなか面白い視点ですね。それでは、また。
参考