ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

美しい少女が天から降ってきた

口笛を吹きながら、ドイツの詩人キュウゲルンゲンが人通りのと絶(だ)えた夜更(よふけ)の街を歩いているところへ、ばさりと美しい少女が天から降ってきた。

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なんとなく有名なアニメ映画を思い出してしまうこの小説は、川端康成「海の火祭」の一部「香の樹」の冒頭部分です。

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川端康成は生涯にわたり「心霊」というモチーフを追い求めた作家でした。

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川端と心霊とのかかわりを考えるうえで誰しもが指摘するのは、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて世界的に大流行した「心霊学」の影響です。

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昭和2年(1927)に「中外商業新報(現在の日本経済新聞)」に連載された「海の火祭(香の樹)」に、古今東西の亡霊や葬いについての記述がありましたので紹介させていただきます。

海の火祭 (香の樹) 川端康成

印度(インド)なんか仏教の本家だけれども、アラバマの印度人は自殺者の死骸に限って葬いをせずにすぐ河の中へ棄ててしまうそうです。ダホマ人は野原へ置きっぱなしにして野獣に食わせますしね。

自殺者の亡霊はいつまでも行きどころがなくって迷っている、つまり浮ばない——コロンビアのトムソン印度人もそんな風に考えてるんです。

ペルウ島では祖先の墓に葬らないで、自殺したその場に埋めるし、カンボジアのバナヴ人は遠くの森の中へ持って行って埋めるそうです。

こんなのには皆自殺者の死霊は恐ろしく不吉だからあの世で普通の死人の霊魂と交際させては悪いという信仰から来ているんです。——

 「それくらいはまだいいほうですよ。四五百年前の話ですが、スコットランドのエヂンバラでは女が身投げをすると、その死骸を裏向けにずるずる市中を引きずり廻してから絞首台にさらしたそうです。

フランスでも十八世紀の中頃まで、やっぱり市中を引き廻した上に倒(さか)さにぶら下げて下水へ投げ込むんですって。

スコットランドの海岸には死骸を海と田畑との見えるところに葬ってはいけないという村があるそうです。亡霊の祟りで海や田畑に飢饉(ききん)が来るというんです。

やっぱりスコットランドの海岸ですが、自殺者は寺の庭の外に埋めて、通る人は皆石をぶっつけるんです。それから女には決してその上を踏ませないんですね。そこを踏んだ女の子供はまた自殺をするからってね。」

 「もう沢山でございますわ。まるで私が今にも自殺しそうなおっしゃりようですわ。日本では無縁仏のためにだって施餓鬼(せがき)をいたしますわ。」

 「さあ。それもあんまりあてにならんですね。盂蘭盆会(うらぼんえ)の魂迎(たまむか)えなんか真宗仏教が盛んになってからのことで、柳田國男(やなぎたくにお)さんの説にもお盆の起りは亡霊を追い払うためじゃなかろうかというのがありますよ。

松明(たいまつ)をともしたり、鉦(かね)や銅鑼(どら)を叩いて踊回(おどりまわ)ったりするのは、亡霊をうるさくていたたまれないように仕向けるためなんですね。

鉄砲で撃ち払ったこともあるそうです。

つまり死霊の影が村や町に蔓(はびこ)って、疫病を流行(はや)らせたり作物に害をしたりすると考えたんですね。

西洋の All Souls'Day が日本のお盆にあたると云うのです。——」

 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が串を投げ杖を立てて黄泉(よみ)の国との境を作った——それが日本人本来の死者に対する考えらしいですね。」

 壁を壊して拡(ひろ)げた窓から死人の棺を出す村がある。

竹籠や臼を座敷中ごろごろ転がして、目に見えぬ死人の魂が忍んでいやしないかと確かめるところもある。

葬式の帰りにわざわざ廻り道をして川の流れを渡って来る土地もある。

墓場の帰りに草履(ぞうり)も鼻緒を切って捨てるのは珍しくない。

どこでも葬いに行って来た人には塩を振りかけてから家に入れる。

——これらは皆死者の亡霊と縁を切りたいための習わしである。伊弉諾尊が串を投げ杖を立てて黄泉の国との境を作られたという伝説と同じ心である。

それから、東京の葬式に使うことがある玉串という榊(さかき)の杖、軍艦河内の殉難者の葬式が内郷村にあった時に柳田國男さんが見て来た金剛杖という竹串——そんなものも死者の亡霊を二度と再び生前の家へ舞戻らせないためのおまじないらしいと話してから、時雄はいった。

「日本にも死人の亡霊を嫌う考えが古くからあったんですね。それがいろんな形で伝わっているんでしょう。」

「そりゃそうさ。」と誰かが時雄を笑った。
「どこの国にだって死人の好きな人種はいないだろう。」

「しかし、そうとも限らないだろう。そりゃあ死骸を見れば誰だっていい気持はしないだろうが、死人の魂は嫌な死骸とは別だと考えるんじゃないかね。」

「あたりまえさ、でなくちゃ宗教も心霊学もありゃしない。」

「だから日本なんかも、第一神話からして死者の亡霊を尊敬している国なんだ。高天原(たかまがはら)に住む八百萬神(やおよろずのかみ)というのは先祖の幽霊達としか考えられない。

そういう先祖崇拝(せんぞすうはい)の国でありながら、さっきの話みたいに肉親の亡霊を嫌う考えも古くからあったんだ。」

「地獄と極楽があるようにね。

合邦ヶ辻(がっぽうがつじ)の浄瑠璃(じょうるり)にも肉縁の深い者程なお恐ろしいという文句があるじゃないか。

まあ例えば恋人が死んだとしたら、その魂は天国に行って生きていてくれりゃいいと思うし、生き返ってほしいと思うのが人情だが、さて幽霊になって出て来られりゃ大抵逃げ出すだろう。

それを抱いて寝たりしちゃ雨月物語のような怪談だ。」

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「海の火祭」が発表された、百年前の(西暦1927年)人たちは、こんなことを考えていたんですね。なかなか興味深いです。

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現在ではあたりまえな【常識】も、百年後の22世紀の人たちの目にはどう映るだろう・・・と考えながら読むと、単なる迷信としてバカにはできませんね。

参考
川端康成全集 第二十二巻 新潮社
文藝怪談実話 文豪怪談傑作選 ちくま文庫
文豪怪談傑作選 川端康成集 片腕 ちくま文庫

海の火祭タイトルの由来

宮島の厳島神社ね、あすこの燈籠流(とうろうなが)しはそりゃあ綺麗なんですって。
娘なんか皆泳いで燈籠を沖へ流しに行くんですものいいわ。それこそ海の火祭ね

(「海の火祭」作中の文章より)

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