奔放な女性たち川端文学
これってつまり女たちの浮気の描写です。
舞姫 川端康成
ぜいたくと言われた女学校を、波子は出ていて、名家や富家にとついだ、友だちが多かった。
そういう家庭は、敗戦による、転落がはなはだしく、また、所帯じみないで来たために、中年の女になりながら、旧道徳の動揺に、よけいもまれた。
波子と矢木の場合のように、夫をあてにしないで、妻のさとの仕送りに頼って、暮していた友だちも、少なくなかったが、そういう夫婦も、おおかた安定をうしなった。
「結婚はみんな、一つ一つ非凡のようですわ。・・・平凡な人が二人寄っても、結婚は非凡なものになりますのよ。」
と、波子が竹原に言ったのには、これらの友だちの例を見た、実感がこもっていたのだ。
夫婦生活を守る、古い垣根(かきね)と土台とがくずれたので、平凡なからをやぶって、本来の非凡が、あらわに出た。
人間は自分の不幸によってよりも、他人の不幸によって、あきらめを教えられるものだというが、波子の教えられたのは、あきらめばかりではなかった。
人のことにおどろいて、わがことに目ざめもした。
一人の友だちは、ほかの男を愛したおかげで、その人と別れた後に、初めて夫と結婚のよろこびを知った。
また一人の友だちは、二十代の恋人のせいで、夫にたいしても、急に若返ったが、若い男に遠ざかると、夫にも冷やかになってしまって、かえって疑われたから、またよりをもどして、夫にそそぐ愛を、よその泉からくんで来ている。
どちらの友だちの夫も、妻の秘密はかぎつけていない。
波子の友だちが集まっても、こんな打ち明け話をすることは、戦争の前にはなかった。
おいおい、主人公の波子だけじゃなく、友だちもみんな浮気してるのかよ。
なんか、すご・・・。
戦争が終わって、古い道徳が崩れて、夫のいる妻たちが浮気に走った・・・というのは初耳です。
黒澤映画「生きものの記録」では、戦争のせいで、男が減り、戦争で夫を亡くした女性が増えるなど、男女の数のバランスがくずれたため、お金に余裕のある三船敏郎が演じる主人公は、お妾さんをかこっていました。
そういうことは実際にあったようです。
ただ、女たちの浮気に関してはどうなんでしょうね。もし事実だとしても「どちらの友だちの夫も、妻の秘密はかぎつけていない。」とあるように、表立って知られてはいないと思われます。
以上、川端文学に登場する奔放な女性たちでした。