かっこいいとは、こういうことだ!
なんだ、おめえ、女学校行ってんのか。
取手二高は、同じ中学から別の高校に進んだ男の子から〝バカにされていた学校〟だったんです。
私、今度取手二高を辞める時、送別会があったんだ、生徒会の。
そん時にみんなの前で話したの、私がここの野球部へ来たのは当時の部長さんから頼まれたからなんだと。
なぜ頼まれたかっつうと、男の子が一クラスに九人か十人しかいねえんだと。
女の子が大勢で弁当も教室で食えない。廊下の隅だのベランダに逃げてって隠れて食べると。
ほいでその頃はみんな帽子をかぶってんだが、電車ん中でその帽子をかぶる者がいない。それどころか、ボタンが全部ほかの学校のヤツなんだ。
要するに、
「なんだ、おめえ、女学校行ってんのか」
こんなふうに軽蔑されるのが怖かったんだね。みんなから後ろ指さされながら来ていた学校なんだと。
それで、これじゃ男の子が可哀そうだと。ひとつ野球部でも強くして、男子ここにありっつうものを全県下に知らせたい。
部長さんがこう言うので、そんなら引き受けましょうということで、オレが来たんですよと。オレ、こんなことを生徒らに話しました。
「いまみなさんは、取手二高の生徒だっつうことが恥ずかしいですか」
そうじゃねえだろうと。オレがやって来たことはこれなんだと。
昔はね、「学校どこ?」と聞かれて、「取手」としか言わねえんだから。取手にはまだほかに学校あんだから。
取手二高とは絶対に言わない。
それがいまはどうだ。
みなさん胸をはって「取手二高です」と答えるだろう、男の子は。
こうなったことがオレは非常にうれしいんだ。
しかし土浦一高 (注:木内さんが取手二高の前に監督を務めていた高校) と比べて取手二高は頭脳、運動能力ともにはるかに落ちましたよ。
ずっとダメだ。
だって野球部員が強力じゃありませんもの、男の子がいないんだもの、学校に。女子校なんだから。
西武へ行っている松沼兄弟がいた頃だって部員が少ねえの。
あのう、登録選手ってのは十七名ぐらい必要なの。ところが、それだけいねえんです。
まあ、練習がきつかったということもあんだけど。だから、応援団の頭(注:毛髪)の短かいヤツを連れていってベンチに並べておいたということもありました。
これが、私が行った頃はもっとひどかったわけです。
ほいで十一月か十二月の寒い頃に、そこいらの中学校へ野球部員の勧誘に歩くわけですよ。それで「先生授業中ですからお待ちください」っつうんで、廊下の隅に立っていたりね。
中には親切な人がいて、ストーブのわきへおいでくださいってわけで、そこんところで待っているとかね。
ところが授業終わって野球部の先生にお目にかかっと、
「あ、取手二高ですか。今年はいないですよ」
これで終わりなんですよ、だいたいがね。話に乗ってくんないの。そういう時代に入って来た連中だけで野球をやるというようなことなんですから。
優勝なんて一回も思ったことないです。そんなことになるはずがねえと、これは。
だから、子供らが「優勝」なんて言うと、「あんまりでけえこと言うんじゃねえ。そんなことできることあんめえ」なんてね、たしなめたくらいだった。
こりゃあ、なぜかっつうと、われわれは負け慣れてたんだな。過去において勝ち慣れてなかったんだ。
今回、最高のチームを率いて行って、それでも勝つ気がしねえってんだから、いやになっちゃうよ、オレもよ。
実を言うと今度、ひそかに期するところはあった。全国3位というところまで押し上げてやろうと。
だから、ベスト8突破して校歌を聞いた時、ああ校旗は見おさめ、校歌は聞きおさめ、正直言って取手二高に名残りを惜しんじゃったからね、オレ。今大会限りで、取手二高の監督を辞めることになってたからよ。(注:常総学院)
だいたいがさ、PLにだけはどうにも勝てそうもない。負けんだ、絶対に。(注:清原・桑田を擁した当時のPL学園は、高校野球史上最強チームと呼ばれていました)
13対0の屈辱
(甲子園・決勝に先立つ2か月前) 6月24日の日曜日、水戸でPL相手の招待試合をやった。そして13対0、コテンパンに負けた。
そのPLと決勝戦で当たると。
これについては、もうわれわれにとっちゃできすぎなんだよ。ここまで来れたということ自体が。
もう負けてもええわと。
まあ、今度の優勝は非常にいい子供らに恵まれたということであって、私自身はなんだかカッコ悪い。
祝勝会、祝勝会でずいぶんほめられたけれど、私は恥ずかしい思いをした。
なぜかってえと、優勝しようと思ってしたんじゃねえから。
準決勝まで行ったら、もう負けてもいいやと思ってたんだから。
公立の元女子高校あたりが、全国3位になればオンの字だと思ってたヤツが優勝まで行っちゃったんだから、
オレの力で勝ったんじゃねえの、これは。
狙いもしねえのに転げ込んで来た優勝だから。
ま、子供らは優勝選手なの。
だけっど、オレは、準決勝で負けた監督なんだよ、意識はな。
かっこいいとは、こういうことだ
木内さんは謙遜していますが、木内さんの采配がなければ取手二高は〝絶対にPLに負けていた〟と断言できます。
4対3
取手二高の1点リードで迎えた、最終回。
あと、3人を打ち取れば取手二高の 優勝という場面で・・・
PL学園の先頭バッター清水哲が同点ホームラン!
次のバッター松本の初球はデッドボール。
サヨナラのランナーが、無死で一塁に出塁!
逆転のPL
取手二高の選手たちはあきらかに動揺していました。
その悪い流れを引き戻したのが木内さんだったのです。
木内マジック炸裂
木内さんは、平常心を失っていたエース石田をライトに下げ、当時としては非常にめずらしかったワンポイント・リリーフというマジックを繰り出しました。
その采配で落着きを取り戻した石田は、最強打者、清原・桑田を打ち取ってピンチを切り抜けたのです。
さらに木内さんは「お前ら、よかったな」と選手たちに声をかけました。
もう少しで優勝してたのに・・・といぶかしがる選手たちに
延長戦になったから、もっとTVに映れるぞ。
全国で野球をやってるのはお前らだけだ。
とにかく15回でも20回でも茨城の連中を、大阪の連中をテレビの前にクギづけにしてみろ。
そうだ、もっとテレビに出られるんだ!
どうせテレビに映るなら、おれたちのカッコいいところを日本中に見せてやろうぜ
木内さんの言葉に乗せられた選手たちは、次の延長10回に大量4点を挙げ、優勝を決めたんです。
すごいことをしても、決していばらないという木内さんの姿勢は、アインシュタインや湯川秀樹とおんなじですね。
もう一度書きます。
かっこいいとは、こういうことだ。
心の底から、そう思います。
引用
オレだ‼ 木内だ‼ 双葉社