フリートーク上達法
語彙をふやそう
しゃべってしゃべってしゃべりまくると語彙がふえます。
映画やドラマ、小説などのあらすじを話すのは、とてもいいトレーニングになります。
言葉をたくさん話すことで語彙がふえるだけでなく、筋道を立てて話そうとすることで文章力も鍛えられるんです。
禁句を設定する
その際「かわいい」を禁句にする手があるな。
ひと口にかわいいといってもいろいろなかわいさがある。「心が和むような、やさしい色だね」というように、何がどう可愛いか、具体的に表現していこう。
おなじ意味で「やばい」も禁句にしたほうがいい。あえて使ってはならない言葉を設定することで、語彙や表現力がアップするぞ。
語彙をふやすとなぜいいの?
雪の多い地方では「牡丹雪」「泡雪」「粉雪」「綿雪」など雪を表す言葉のバリエーションが豊富です。
「雪」という言葉しかもたない人にとっては、どんな雪も、ただ「雪」というものにしか見えません。でも「牡丹雪」や「粉雪」などの語彙がある人は、それぞれぜんぜん違うものに見えます。
雪を区別する言葉があるということは、雪というものを、そのように分けてとらえているということです。
語彙が多い人は、それだけ世界を細かく分けてとらえています。
ですから、語彙をふやしていくと、世界がどんどん豊かに見えてきます。そして、毎日の生活や人生も彩り豊かになっていくのです。
「雪」という言葉しか知らない人と、さまざまな雪の語彙を知っている人に「雪」について語らせたら、どちらのフリートークが高い評価を得るか、よほどのことがない限り答えは明らかですね。*1
要約力をつける
「つまるところ、こういう話です」つまり要約とは「文章などの要点をまとめること」です。
話を要約できるということは、その話が理解できているということ。
ニュースや物語のあらすじを15秒で話してみる。それができたら30秒、次に1分。
最初から1分だと間延びしたり余計な言葉が入ったりして、たいていうまくまとまりません。
要約力をつけるには15秒から始めて、時間を伸ばしていくやり方が効果的。
「浦島太郎」のあらすじを、「さっきは竜宮城でタイやヒラメの舞踊りを入れなかったから入れてみよう」「冒頭でカメがいじめられているところをもう少し長く話してみよう」というように15秒バージョンより情報を増やしていく。
まずは全体の骨格を示し、そこに肉や皮をつけていきます。
結論をスパッといえるようにすることが要約力です。
結論を先に
新聞で読んだニュースや芸能ニュースでもいいので、それを手短に人に話す練習をしてみましょう。
そのさい「えーと、あの人がああでこうで、あと、あの人がこういっていて」という小学生みたいな話し方はやめて「だれが、どうした」と結論を先に言うことがポイント。
「何が、どうした」を先に話してから、その理由や、どのような展開をたどってそうなったかを説明する話し方を身につけましょう。それがフリートークの上達に役立ちますよ。
参考文献
国語は語彙力!受験に勝つ言葉の増やし方 PHP研究所
*1:
「雪」の見えかたを他のものでたとえると、コンビニエンスストアが思い浮かびます。
今やコンビニのPB【プライベートブランド】はさまざまです。コンビニ各社の棚に並んでいる商品は同じとはいえません。
セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートなどを使い分けるか、それとも「各社同じ」に見えてしまうか。
雪の見えかたと共通するものがあると思いますよ。
企画立案
目次
あたりまえをうたがえ
幽霊に、人を呪い殺せる能力が本当にあるのなら、戦争で死んだ兵隊は生きているときよりさらに強力な戦闘能力をもつことになるな。
そこで一本アイデアが浮(う)かんだわ。
西暦2199年、宇宙の謎の星から幽霊軍団が地球へ攻(せ)めてくるの。圧倒的な敵の戦力と【幽星爆弾】の前に地球艦隊は壊滅状態となり人類絶滅まであと一年となってしまうのよ。
どっかで聞いた話だな。しかし現実では幽霊に相手を呪い殺す能力はないぞ。死んだ人間は生きている人間を殺せない。だから戦争では相手をたくさん殺すんだ。
それはあくまで地球の常識よ。宇宙は広いのよ。謎に満ち溢(あふ)れているのよ。あたりまえをうたがわなければ進歩はないわ。
それならどうやって幽霊を倒す。幽霊は最初(ハナ)から死んでるからいくら攻撃してもムダだぞ。
そこよ。地球人も絶滅はするものの幽霊になって宇宙の幽霊と対決し、おたがい死なないまま永遠に戦い続けることも考えたけど、あまりにも不毛だし…。
そんなとき頼りになるのは、やはり超古代文明の古文書というベタなアイデアね。
超古代文明は「こんなこともあろうかと」幽霊撃退の方法を碑文にのこしておいたことにするの。
その方法とは、
巫女さん軍団による呪文とありがた~いお札よ
巫女さんの呪文とお札の前には、さしもの幽霊も成仏すること間違いないわ。
この物語は、幽霊軍団と戦うために、「地球防衛・巫女さん戦隊養成所」に通う美少女たちの笑いあり涙ありの成長物語なのよ。
彼女たちがそろって巫女さん姿に変身するときの合言葉は「ハニーフラッシュ」みんな画面にくぎづけよ。
―――くだらん・・・。
シェイクスピア 十二夜<幽霊と戦場>
マライア
お嬢さまはきっとおまえを縛り首になさるわ。
道化
縛り首けっこう、この世で絞め殺されりゃあ天下無敵だ。
マライア
どういうこと?
道化
死んじまえばこわいものなしだろう、無敵じゃないか。
マライア
すてきなお答えねえ。天下無敵ってもともとどこで言われたのか知ってる?
道化
どこでしょう、マライア先生?
マライア
戦場よ。おまえも戦場に行ってただなんて阿呆面して言うんじゃないでしょうね。
道化
おお、神よ。知恵あるものには知恵を与えたまえ、能ある阿呆には阿呆の爪をふるわせたまえ。
参考文献
どですかでんと生きものの記録
目次
「どですかでん」は黒澤映画の中でも難解だといわれています。
ですが黒澤明の他の映画と比較してみると「もしかして・・・」というものが見えてきます。
それが「生きものの記録」です。
生きものの記録
「生きものの記録」は、原水爆の恐怖におびえる老人【三船敏郎】のお話です。
三船敏郎は核と放射能におびえ、日本を脱出してブラジルに行けば助かると信じ、家族や親戚にブラジルに移住しようといい続けます。
映画がつくられた当時は、実際に日本でも放射能のまじった雨が降ったりしたそうです。米ソの冷戦もあり、核戦争の恐怖は今とはくらべものにならなかった時代でもあるのです。*1
しかし放射能におびえる気持はわかるものの、仕事や生活といった日常の問題が立ちはだかり、ブラジルへの移住は家族から反対されてしまうのです。
その後いろいろあって、ついに三船敏郎は発狂してしまいます。
映画の終盤、精神病院の窓から太陽をみた三船敏郎は「地球が燃えている。だからあれほどいったじゃないか」と取り乱して嘆き悲しむんですね。
映画はこんな台詞で締めくくられます。
「もしかしたら本当にくるっているのは、今のような状況でも平気でいられる我々のほうじゃないだろうか」
どですかでん
「どですかでん」は、頭の少したりない六ちゃんと呼ばれる少年の電車ごっこの場面からはじまります。
子どもたちからバカにされても六ちゃんはまったく気にしません。
「どですかでん」には、六ちゃんのほかにも「たくさんの大人たち」が出てきます。
この大人たちは、最初に出てきた六ちゃんと違って、頭がたりなくはありません。
だけど、この大人たちの行動をよく見ていると、「あれっ」という疑問がでてくるんです。
それは「生きものの記録」で感じたものとよく似ています。
ふつうに見える大人たちも、すっごくヘンなことしてるよね。頭がおかしい六ちゃんと、あんまり変わらない気もするな・・・。
六ちゃんは自分がおかしな行動をしているとは思っていません。そしてそのヘンなことをしている自覚がないのは「どですかでん」の登場人物みんな同じなのではと感じてしまうんです。
そんなことを思いながら日々のニュースに接していると、黒澤明のいいたかったことがなんとなくわかるような気もします。自覚のないのは映画の登場人物だけじゃないのかもしれません。もちろん、わたしもふくめて…。
いい世の中になってほしいですね。それではまた。
シェイクスピアとの共通点
「人は皆愚かである」という古代ギリシャの哲学者ソクラテスの「無知の知」(人は誰もが愚者であり、己の愚を自覚している者は賢い) に基づく人文主義思想は、シェイクスピア作品の根底を成しています。
黒澤監督は「蜘蛛巣城」で「マクベス」を、「乱」では「リア王」と、シェイクスピア作品を下敷きにしたことが知られています。
あくまで推測ですが、シェイクスピア作品と同じ人文主義思想が「生きものの記録」や「どですかでん」にも流れているのかもしれませんね。
そういえば、リア王を下敷きにした「乱」も『人間の愚かさ』がテーマになってるね。一貫してるね。
Voice actor laboratory 声優演技研究所
*1:
「生きものの記録」が制作された前年には、第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)事件がおきました。
1954年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験により発生した多量の放射性降下物(死の灰)を浴びた遠洋マグロ漁船が、「第五福竜丸」です。
原水爆の核実験(かくじっけん)は、1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)各国で行われました。その映像は記録映画をはじめ、YouTubeの動画でも検索すればたくさん出てきます。
東京都における大気圏核実験による放射性降下物の影響は、環境省のホームページで見ることができますよ。
https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h30kisoshiryo/h30kiso-02-05-15.html
昔ばなし比較分析
王子さまぁおねえさんたちが世の中のイロイロを、やさし~~~く教えてさしあげますよ。
あ・・・よろしくお願いします・・・。
サルカニ合戦
カキの種(たね)をひろったサルは、カニを騙(だま)して、おにぎりと交換させます。
ところがカキが実(みの)ると、サルはカキをひとりじめにして食べてしまい、あまつさえカニに青いカキの実をぶつけてケガまでさせてしまいます。
それを聞いて義憤(ぎふん)に駆られたのが、お友だちの臼(うす)ハチ・栗でした。
みんなは、カニをいじめたサルをこらしめて、サルは泣いてあやまりましたというお話です。
臼(うす)ハチ・栗は、カニと主義主張を同じくした【同盟】であり【義勇軍】*1であると解釈できます。
ここ一番で頼りになるのは、やはり「絆(きずな)で結ばれた信頼関係」ですね。
ももたろう
ももたろうは、鬼ヶ島に鬼退治に行くにあたって、犬・サル・きじに、きびだんごをあたえ、お供【家来】にします。
リアルに解釈すると、カネで傭兵(ようへい)をやとったわけです。*2
ももたろう軍団は、絆で結ばれた臼(うす)ハチ・栗の義勇軍にくらべ「信頼関係」が脆弱(ぜいじゃく)です。そこに「ももたろう軍団」の弱点が垣間見えます。
傭兵の問題点を挙げると、戦局が味方に不利になるやさっさと逃亡してしまったり、ももたろうのきびだんごよりいい条件を鬼から提示されると、あっさり敵側に寝返るのではないか、などが考えられます。
以上のことから得られる教訓は
さっきからだまって聞いてりゃ・・・王子さまにあんまりへんなことふきこまないでいただけますか
王子さまも王子さまです。
これからあんな人たちと遊んじゃいけません。さもないと
声優の演技・基本のキ・その2
自分と役を分離する・2
わたしは「ストップ温暖化」の立場ですが、温暖化に後ろ向きな、わたしと正反対な考えの人物を演じることもあるやもしれません。
そんなときこそ「自分と役を分離する」方法が役立ちます。
「温暖化に無関心だなんて、きっと悪い人に違いない」そう考えるのは誰にでもできます。
たとえば、このように考えれば悪者ではなくなります。
重病の家族【親・兄弟・恋人や子どもなど】がいて、治療には莫大なカネがかかる。
その治療費を得るためには温暖化対策に逆行するエネルギー政策を推し進めるしかなく・・・
みたいな設定を考えちゃうんです。そうすれば悪者の演技ではなくなるんですね。
もちろん「なぜ、この人が温暖化に無関心なのか」という細かい設定が、前もって提示されている場合は、それに従います。
今回の例は、細かい設定がなく、なおかつ単純な悪者として演じないでほしい、という要求があった場合に考えるシミュレーションのひとつです。
【×】声優の演技・基本のキ
【〇】声優の演技・上級者、応用編
今回のブログは、基本ではないよね・・・。
声優の演技・基本のキ
呼吸に注意
行動するとき、人は無意識に呼吸を止めています。
たとえば
階段を上るとき、最初の第一歩は無意識に呼吸を止めて「ふんばって」上りはじめます。上りはじめてからの2歩目以降はふつうの呼吸に戻りますが、一歩目は呼吸を止めてるんです。
これは、走りはじめるときの最初の一歩も同じです。
イスから立ち上がるときもそうです。
同じように、床や地面にすわっている姿勢から立ち上がるときは呼吸を止めて立ち上がります。
日常の行動では他にも
高い所にある物を取ろうとして、つま先立ちして手を思いっきり伸ばしているときや、重いものを持ち上げるときもそうです。
寝るときも、ベッドにごろんと寝っ転がってから枕の位置まで体をズリズリ移動させているときなども呼吸を止めています。
心理的に集中するときも呼吸は止まります。
針の穴に糸を通すなど、集中しなければいけない場合は必ずといっていいほど呼吸は止まります。
声優だからこそ意識しよう
そしてお気づきのように、呼吸の演技は声優だからこそ意識する必要があります。
なぜなら俳優などの映りの演技や舞台では、意識しなくても自分の行動にあわせて勝手に呼吸も連動するからです。つまり意識する必要はないんです。
しかし声優の場合は、自分とは違う画面の中のキャラクターに行動をシンクロさせ、またアフレコ以外でも、自分は動いていないのに動いているように聞こえる演技をするため【意識して】呼吸も考える必要があるんですね。
つまり【ナチュラルな演技】とは、「自然なしゃべりかた」+「自然な行動にともなう」⇒「自然な息遣(いきづか)い」と考えることができますね。
以上、声優の演技・基本のキでした。
Voice actor laboratory 声優演技研究所
信じなくても演技はできる。
役を演じている役者本人は信じてなくてかまいません。物語の中の登場人物は、そう信じている という演技ができればOKです。
かんたんに説明すると、野球アニメ「巨人の星」の消える魔球です。
消える魔球は存在しない
現実の世界で消える魔球は存在しません。また消える魔球の存在を信じている人もいないと思います。
だけどアニメの世界では消える魔球は「存在するもの」として描かれているんですね。
巨人の星の登場人物たち【主人公だけでなく、味方の選手たち、ライバル球団の選手、野球解説者やアナウンサー、観客たち】は口をそろえて言います。「ボールが消えた」
自分ではなく、登場人物が信じていればいい
つまり巨人の星の主人公やライバル選手を演じる場合、演じている役者本人は消える魔球を信じていなくても、自分が担当するキャラは消える魔球を信じている、という演技をリアルに表現すれば、役に魂をふきこめるんですね。
これは超能力や幽霊などの超常現象をあつかった作品の演技や、怪獣映画<怪獣を信じている人もいませんね>その他のいろんな役についても同じことが言えますよ。
第二次世界大戦の映画でヒトラー役を演じることになっても、自分がヒトラーそのものになりきる必要はないということだな。
自分と役を分離する
「先生にほめられる読書感想文」や「前向きに反省!」のときも述べましたが、自分と役を分離するんです。
自分と役を分離したうえで、役の視点でものごとを見つめて、リアルな演技を模索するんです。*1
自分と役を同じものとして同化し、自分を役の思想に染めてしまう必要なんて、まったくないんですよ。
そんな話をしながら、本日は朗読・その他のレッスンを行いました。
とてもいいレッスンが出来たと思います。それでは、また。